原発の増設は政治の専属話題で頻繁に出てくるが原発事故の具体的な対応策は皆無の日本政治、初めて岸田総理は本気なのかどうかも疑わしいが核シェルターの設置の検討を始めると言い出した、検討総理の事だから国会で野党の質問に「検討してみます」と何百回答えたか知らないがついぞその口から答えが聞かれたためしはない、ハハ。しかし核を引き続きこの国の主要エネルギーと位置付けるのなら核シェルターはもう一つの国民の安全保障の柱ではないか。岸田総理が核シェルターの話に飛びついたのはもう皆さんお分かりだろうが、そうまた新たな利権のタネが出来たと内心大喜びだから、だってその為に公に税金を使い放題にできるからで、しかも国民のためと言えばこれ以上の安全保証は他にないからだ。これに利権政治家が飛びつかない話はない、まして保守政治の命が風前の灯火となった今、ここに活路を見出さずして何に頼れようか、さしもの自民党ここまで追い詰められればさすがにカネを手に入れるのにはよほど国民が納得できるモノでなければ無理だと思い出したのか、して保守政治の考える新たな利権はどこにどんな施設を作るのか?、そこが大きな政治課題になるが、国民は保守政治の新たな利権のタネを政治屋サンたちの言いなりにならないよう、気を付けなければまたいい様に利権に税金を使われただけに終わりかねない。そう先ず子供たちの安全を考えなければ作る意味がない、そうなると先ず学校にシェルターを作るのが最も早い話納得いくものだが、やはり有事の時に真っ先に犠牲になる可能性のある子供たちと言えば、基地に近い所の子供たちだ沖縄、更に各地の米軍基地の近くの学校、そして原発立地の近くの学校、そういう考え方で学校にシェルターを作り出すのが最も現実的で日本の未来を救う手っ取り早い安全保障ではないだろうか、そういうものなら国民も税金の使い道としては文句は言わない、とにかく子供を危機から守る、その為にはどうするか、外交の方法を変えイスラエルのように病院や学校を攻撃の標的にしないよう各国と約束をしておくことは最もひっきんな政治課題ではないか、今の戦争はそうした国際的な取り決めが蔑ろにされて子供や弱い者の命がまず狙われている。その為の対策は今や国の命運を左右しかねない、それでなくとも日本は既に子供のことなど政治の頭からは消えてなくなっている、そういう意味では核シェルターの設置は国にとってどれほど子供は大切なものか、政治屋サンたちにもわかりやすいモノとなるはずで、全国の危険地帯に住む子供たちの命をまず守るため、早急にその具体策を考えていただきたい。
<原発事故は統治能力の欠如という史上最悪の人災だった事実を忘れてはいけない>。-今でも多くの国民にその認識がないのは結果をメディアが国民に公表していなかった、という事実もセットで忘れてはならないー。
今や日本は対中戦争のさ中なのか?、オスプレイが墜落しても米軍が正式に認めるまで報道すらされないのか、わずかにNHKのみが速報で放送したのみ、他のメディアは恐る恐る?マーク付きで遅れること数時間、しかもその後の追加報道は一切なしこれでも日本は本当に自由主義国家なのか、太平洋戦争中と変わらない報道規制国家としか見えない。役立たずのオスプレイが日中戦争の主力兵器であることをこの1台の墜落がいかに日本にとって重大事件なのかを日本政府がモノ言わずに語っている。この国の政府の存在感の薄さ、軽さを改めて玩具のようなオスプレイ1機の重さで測られた事件、日本国民はよく覚えておく必要がある。<日中戦争の主力兵器が墜落したのに政府は一言も発言できないのか、この報道管制の重苦しさから見るとオモチャオスプレイが日中戦争のカギを握っていることは間違いないナ>。
大阪万博も他人事予算、そして国の最も基本の国防施策も他人(アメリカ)任せ、日本の政治は一体何処に行く?、誰が応えてくれるのか。ーその真相は大阪万博は政府ではなく日本維新の会の問題であり、対中戦争は日本の問題ではなく、アメリカ自身の問題だからである(だからマクロン氏は東京にNATO事務所を設置するのを拒んだのである、EUはアメリカの子分ではない、)では日本は?ー。それに対するアメリカの答えは、オスプレイの墜落の捜索にオスプレイ2機の派遣を決定。
超越的現象学
政権の屋台骨を支えるどこかの代表的保守新聞がアメリカが持っていた棍棒を捨てる行為がウクライナのジェノサイドを呼んだ、と批判していたが、それこそ<お前が言うな>とアメリカ人なら言うだろう。いくら核兵器を持っていても相手がそれを上回る兵器を持っていれば自分の国が攻撃されることを恐れるのは人情だ。音速を20倍も超える核弾頭で攻撃されたらひとたまりもない、それを知りながらアメリカの核の傘に頼って安穏と暮らしてきた<お前が言うな>だろう。しかもその核の傘もウクライナの現実を目の前にしたら、<核共有論>だ?。バカ(も)め休み休み言え、いったい誰が日本と核共有など許容する国があるか、石油やガスさえ輸出しようとしない国が核の共有など論外だろう、(核を持たせた途端日銀のバズーカ砲やミャンマー国軍<実績>みたいに後ろに打たれたらたまらんからな)、よく考えてみろ。と国際社会なら忽ち言い返すに違いない。しかも今日本がウクライナと同じ立場になったら、今のヨーロッパのように日本難民を受け入れてくれる国があると思うのか、これまで難民をシャットアウトして拒絶してきた国が!!、それこそ<棄民>以外方法がない。そういう政治をしてきた国が<お前が言うな>だろう。この現実を未だ日本人は自分の問題としてウクライナの現実を見ようとはしない。他人事国家の恐ろしさをこれから日本人は味わうことにならなければ良いが、これまで70有余年平和に暮らしてこれたのは単に日本国憲法だけのお陰ではないだろう。それを考えればこれから日本は一体どうすれば良いのか。今更憲法を変えて軍事力を2倍3倍に増やしても、何の役に立つのか。それこそ焼け石に水だと思わないのか?。超大国のアメリカでさえ一国では自分の国を守ることなど出来ないからこそ、アメリカは焦っているのに。トランプのように<アメリカファースト>などと叫んでもそれが虚しい叫びであることをウクライナは世界に証明して見せた。それが理解できないバカなら、もはや国ごと消えても文句は言えまい。これからは国そのものが地上から消えてなくなる戦争をロシアが火がつけた、共食いのこれが宿命だと言わんばかりに。
超越的現象学
私が別のブログで日本の教育は革命的変革が必要だと書いたら、なんと昨日TV番組(日曜夜7時テレ朝系<ナニコレ珍百景>)で和歌山県の山の中にもう30年も前から全く別の教育方針の私立学校がある、と紹介され私も興味津々で見たが、実に驚くべきもので日本中の小中学校がこんな教育になったら子供たちはどんなに勉強が楽しく、いじめもなく本当の意味ですくすく育つのではなかろうか、と感激した。一番大切なのはいじめのない学校でなければ学校など何の意味もない、ということだ。もともと虐めは日本社会の歪んだ体制の価値観を子供に摺りこもうとするところから生まれ、そういう目的の元で教育さえしなければ虐めは生まれない。もし公立学校でこうした教育が無理なら全部私立学校にして国は私立学校に公費を補助し運営には口を出さない教育に変えたらどうだろうか。しかも学年に分けて教科書を作ることなど意味がないことはこの学校の運営方法を見れば明らかで、しかも基礎勉強の確かさは公立など足元にも及ばない、実に素晴らしい教育方法で何より子供たちがこんなにのびのびと活き活きと生活している学校は見たことがない、最初から最後まで国が決めた規律で子どもたちを縛る教育など差別といじめを作る元でしかない。かの学校ではカリキュラムから勉強方法まで全部子供たちが決め自分たちの考えた方法で学習している。その自主性と主体性こそ今の日本に必要な自立心を養う方法であり、これぞ子供を一人前の大人に育てる教育だと私は感心した。しかも先生も生徒もなく同じ友達のように上下の区別のない生活でも自分たちの決めた規律に従って生活しているから全く混乱や喧嘩は発生しない。全員が納得した形で学校運営をするからコミュニケーションが実に豊かで、仲間外れもない。これは世界に誇れる学校だと私は思う。もともと子供達には男も女も大人も子供もない同じ人間なのだ、それをそのまま認めて見守ってやれば子供はすくすく育つ。素晴らしい教育環境だ。是非こういう学校運営をしたい私立の経営者はこの学校を見に行って参考にしてほしい。ただ問題はこうした私立学校の教育費がこの国ではどれほど負担が生じるのか、それだけが気がかりではある。教育にはカネが必要だからだ。そこで国家がいかに教育に力を入れるか入れないか、今公立学校の問題は少子化問題もこの点にあり、国の発展は子供に如何に必要なカネを掛けるかにかかっている。この学校の卒業生たちを取材した続編ルポをぜひ放送してほしい。
先日私が夫を亡くし一人になった女性の困窮ぶりをこのブログに書いたら早速毎日新聞がその問題を取り上げていた、この問題の根源は何処にあるのか答えは簡単、男中心社会、それも世帯中心社会が原因だからである。女性は男の付属物であり一人の人間として認められていない現実がこの国の全ての欠落の基で因みにマイナンバーカードが何故うまく機能しないのかも原因がここにある。家族単位で行政機能が作られている社会に個人番号で管理するシステムをいきなり持ち込んでうまく機能するはずがない、そんなことも分からずにマイナンバーカードを導入する政治家のモノ知らず加減が混乱を作り出す、これこそまさに「他人事国家体制」のコワサ。どうせやるなら国のシステムをすべて個人単位に変えてからしないといつまで経ってもマイナカードシステムなど機能しないのは当たり前で、個人が主体なら本人が存在さえすればカードは生かされるが、女性が夫と別居したり離婚した途端家計が別々になると夫の住所や苗字が生かされなくなり子供も同様になり、マイナカードなど全く役に立たなくなる。デジタル社会にするならこの国のシステムを家族、世帯単位から個人単位にすべて変えなければ不可能であり、この際女性子供全てを個人として登録し、一人の人間として扱う社会に変えることである。そうしなければマイナカードに限らず年金や減税更に扶養家族問題の解消等すべてデジタル仕様社会にはならない、そして前にも書いたが、独自の日本語表記を新たに導入すべきだ、そうすれば様々な混乱や漢字文化の国と同じコンピューター上の間違いも起きないし犯罪も防ぐことが出来、しかも教育のデジタル化も無駄な時間の浪費もなく、合理的な社会が出来上がることは間違いない、政治も行政もそろそろそういう理屈が理解できない人材には退場願わないといつまでも1500年前から変わらない制度のままで動く筈がない。早い話が集団社会から個人単位の社会に変えればデジタル化も簡単になるし、個人の尊厳も保つ国に変わる。そうしなければ日本は21世紀の世界についていけない、マイナカードの混乱がそれを見事に表している。そうすれば女性の人格も男と同等にならざるを得ないし、誹謗中傷(血も涙もないこと、つまり他人事文化の象徴)、性の奴隷にもなることもない。すぐにそれを実行しないと日本はもう相当後れを取っていることはお判りだろう。早くそうすることが、文化創造上でも必要なことがもう分かるだろう。そしてついでにもう一言、日本はアメリカから日本の為だと言われてもそのまま信用しないことだ、何故ならそういう場合大概アメリカの為だからハハ。そしてこのままでは日本の人権否定原理と愚か者選出体制そのもの(今の国会の与党と補完党のただ利権欲しいが為の醜さを見よ)がこの国を破滅へと導くことになるよ。
2024年、日本を変えましょう。新しい年が始まりましたがみんなで覚悟を決め新しい日本に変える気持ちがなければ日本は変わりません、他人事メディアのようにただ問題から逃げて自分を癒してくれるほんわかしたモノばかり飛びついているだけでは、日本は腐っていくばかり。さぁ勇気を出して問題に立ち向かう強い気持ちで目の前の難題に立ち向かいましょう、そうしなければ2024年は何にも始まりませんよ、逃げずに立ち向かいましょう。日本を変えるためには、まずあなたが変わらなければ何も変わりません。捏造ではなく真実の歴史を生きた人こそ24年の勝者となります。
何と4年ぶりの花火大会、ハハ久しぶりに華やかな演出を期待して私も12チャンネルTVの前にかじりついてその時を待った。正直コロナでふさぎ切ったこの3年間、東京の一大イヴェントとあって楽しみもひとしおなのは多分私以外にも大勢心待ちにしていた人も多かった?、その期待はあふれかえる人人の群れが何より物語っていた。それだけ日本人にとって特に花火という仕掛けはさながら人の心を奮い立たせるすべての憂さを払いのける別の意味の台風みたいなものに違いない。そうしてその時が来た。順次打ち上げられる花火が徐々に人々の期待を盛り上げていく、次々と上がる花火に人々も4年間待ちに待った新しいものに期待しながら<さぁこの次はどんな花火?>と期待を寄せながら次を待った、ドンドンと胸に迫る大きな音とそして風にたなびく煙がごった返す人々に襲い掛かる中、どうしたことか数発は不発に終わるものがあり、<アレ?>と何か不安がよぎりだした、しかも4年前の花火と今目の前に上がる花火がほとんど変わらず新しい趣向が見られない、内心大きな期待が少しづつ凋み始める、それもその筈おそらく今打ち上げられているものは次の年に当然大会が開かれる予定だった筈の為に作られてあったその次の年(3年前)用の花火を流用したものに見えてきた、だからその花火は4年前のものとほとんど中身が変わらなかった。ずっと打ち上げられる花火を横目に私にはふと寂しいものがこみあげてくる、確かにこの3年間多くの業界はコロナの為に足踏みを余儀なくされてきた、その滞りを今各界は必死に取り戻そうとして、モノの値段も上げてこれまでの辛かった3年間を取り戻そうとしているのだ、と。それは無理もない、それが大きな負担となり今消費者に降りかかってきている、花火業界だって例外ではない、それを見て見ぬふりをするのが大人というものなのか。ただ確実にこれまで社会に蓄積されたモノがコロナ過によって無くなりつつあり、アメリカが拒んだコロナ患者を船から上陸させた日本政府の決断の結果としてそれは人々の期待を裏切ることにつながることは間違いないことだという現実。その現実が今この隅田川で私たちの目の前に展開されていることを、私たちはしっかりと受け止めなければ、それを事実として。
超越的現象学
スリランカ女性、ウィシュマ・サンダマリさんの遺族の訴えを名古屋地検は入管職員を不起訴としたばかりではなく遺族の在留資格も剥奪しようとしている。そしてこの事件に関してウィシュマさんのことをあることないことでっち上げ誹謗中傷する記事まで出回っている、亡くなった人を冒涜するのが大好きな日本人。これにはおそらく今スリランカの国が政治的にも経済的にも困窮していることが少なからず影響していると思われるが日本人は弱者の弱みに付け込むことは大の得意でアメリカのような強い国にはすり寄り反対に困っている国は足げにすることはこの事件を見るとよくわかる。しかし日本の保守文化が当てにするアメリカも既に鉄の帝国が末期症状でいつまで持つかはもう分からない、その焦りが今回のペロシ議長の強引な台湾寄港問題になった。しかも私の個人的な受け止めでは安倍氏の事件も間接的にアメリカの衰退問題が深く絡んでいると考えている。その証として安倍氏の死について仲間の自民党政治家が口を噤んだまま一言もしゃべらないことにある、つまり安倍氏は独り何かを背負って死んでいったのである。スリランカと云えば日本が敗戦後今の南北朝鮮や東西ドイツ、南北ベトナムのように二つの国に分けようという国際的取り決めに反対してそのまま一つの国として残してくれだ大恩人の国であり、日本人はスリランカに足を向けて眠れないほどの恩義があるはずである、それでも戦後75年も経つとそんなことはなかったかのようにウィシュマさんや遺族をまるで人ではないような扱いをして日本から追い出そうとしている。こんな非人間的な恩知らずをやっていると日本はまた同じ地獄を味わう羽目になるがそれでも良いのか?。恩をまるで屈辱を受けた相手に返すような非道な仕打ちをしてそれが日本人の礼儀作法に合っているというのか。おごる日本人は久しからず、この報いはきっと大きな代償となって返ってくると覚えておいたが良い。日本政府はかつての恩義に報いるため今こそスリランカに救いの手を差し伸べあの時の恩義を返す必要があり、それが日本の義務ではないのか、そしてウィシュマさんと遺族に対して非礼を詫びて手厚い人間的返礼をすることこそ礼節ある国家として切望する。というのもこのスリランカの窮状を日本がどうするのかが日本の未来を決める可能性があるからである。
米ロの関係がなんだか非常に怪しくなってきたなかで習近平氏の訪ロで中露首脳が突然日本に信号を送ってきた、それに対して日本政府は買い言葉を送り返しているがこれは本気なのか、日本政府には見えているのか?、尖閣で中国は日本に対して逆に領土侵犯の非難をしてきた、自民党政治家はパンダどころではないと言っているがそのパンダも全部日本から引き揚げる予定になっているということは中露とアメリカはすでに何らかの取引ができているということになると見たほうが間違いないが日本の現状はそんな状況か?。現状認識の甘さについてこれまでさんざん言ってきたがこうした姿が日本を危機に追い込むことを日本の政治家は認識できていない、危機認識の甘さは国の命運を左右する、選挙のたびに私はそれを叫んできた、なぜ日本の政治はこうまで甘くできているのか、そしてなんの用意もなく相手の挑発に乗っていく、今この日本が一体誰の助けを得られるのか?、もっと頭のいい政治家を選ばないとこのままでは日本は本当にヤバイことになるが、日本人は誰一人そんな危機感を持つ者がいない、本当の外交力を持つという意味すら今の政治家は理解できない。このままでは日本は本当に危ない、そういう危機意識があれば今年の選挙は大きく変わるはずだが、望みは薄い。橋下氏の言葉ではないが今の自民党に日本人の実存を見極める能力が(西田氏の実存把握能力を考えるにつけ、ひめゆりの生き残りの女性の言葉さえ否定する洗脳状態を)あるのか、あったらこんな自懐必至社会を自ら造ったり(統治能力の欠如)しないはずだが、どうなる日本?(これは日本人全体の問題で自民党だけの問題ではない!)。<石破政権は消費減税はできないと言っているが、トランプ関税の企業補助金の原資がなくなるのは確かに政治生命が危うくなるもんな、ポピュリズム云々を言う前に裏金を作った原資はいったいどこから来たのかな>。
世界が注目した米中首脳会談、私が最も注目したのはウクライナ、パレスチナ侵攻戦争に対する両首脳の対応についてだったが、残念ながら双方から何の反応もなかった、と言うのも今やこの2大国以外こうした国際紛争を終わらせる可能性がないからだが両者とも自分の頭のハエを追うのに必死でそれどころではないのだろう、特にバイデン氏は一年後に迫った自分の大統領選挙で国内での不人気でこれ以上中国に配慮したという印象を持たれたらそれこそ致命傷になりかねず、習主席も国内の強硬派に弱腰だったとみられたくないだろうし、ヘンに妥協できなかった結果は誰の目にも明らか、人類共通の共生のための目的より、まず自国の面目を保つのに必死、世界のリーダーとしての役目などどこかにへし飛んでしまった印象だった。この世界の異変が一体どこまで進むのか、少なくとも現在の時点では戦争も気候異常による危機にも人類は無力なことを認めざるを得ず、リーダー無き人類は一体何処に向かうのか?、こんな有様なら残念ながら更に人類は混沌の渦に向かい突き進むことは免れないだろう。少なくとも私が期待した米中首脳会談とはかけ離れたものに終わった今回、人類の最大の懸案である二つの戦争に少なくともバイデン氏の方は深く関わっていたし習主席も二つの戦争の対立側に関与していたのは確かであり、それも両国の対立の延長線にこの戦争があったことは間違いない、しかし双方ともその問題に触れることなく会談が終わったということは、これからもまた別の機会に同じ対立の結果としても戦争が始まる可能性が否定できない、一番高いのが台湾であり、そこでもしウクライナ、パレスチナのような戦争が始まれば、双方他人事のような顔ではいられないのは誰が見ても明らか、その時は直接対決するハメになる。それを避けるための唯一の機会であった今回の会談が全く機能しなかったことを、人類は悲しむべきだ。
超越的現象学
ロシアと西側を含むウクライナのどちらが勝ったにしてもこの戦いに勝利の美酒はない、人類に絶望の深い傷が残るだけだ。何故なら結局人類の知恵が只の矛盾でしかないことを互いに認識することに終始することになるからで、人間の作り出したテクノロジーがウクライナの悲惨な破壊を人類にもたらす結果を改めて目の前に確認するだけだからだ。それは人類が自らを破滅させるために営々として築いてきた歴史だったと思い起こすだけでしかない。この矛盾はあらゆる生物が繁栄の頂点からは共食いによって絶滅する歴史から知恵を持つ人類も逃れられないことを意味する、ここから逃れるためには今すぐこの道を抜け、別の道の先にある勝利の美酒が待つ道に引き返す以外にはない。<尤も未だ間に合うかどうか私にもわからないが、それは人類の覚悟ひとつに掛かっている>。