フランスの選挙は予想を裏切り左派連合の優勢勝利に終わり、マクロン政権はいづれにしても衰勢を余儀なくされる結果となった、マクロン氏が当選した当時私は中道の彼は左右どちらからも攻撃され苦労するだろうと予想した、余程強い意志を持って政治行動を進まない限り中道政治は右左の攻撃にさらされやすいのは当然のことで、彼の前の右寄りのサルコジ政治を懐かしむ勢力は当然難民政策に不満を抱いていることは分かっていたしその前のジスカールディスタン氏の左派政治擁護者はマクロン氏の年金改革にノーを突きつけたことが今回の選挙を最も説明しやすいものといえる、そこには日本の政治との決定的な違いがあり政治は国民が作り育て上げるものという意識が、今回の選挙を可能なことにしている。政治は与えられるものではなく国民が作り自らの意思で行うものだというかつての革命の経験がこの選挙を可能なものにした。アメリカは当然左派の勢力拡大に驚きと困惑を見せているが、ここに書いたようにフランスでは交互に右左の政治を代わる代わる行ってきたのだ、マクロン氏の中道政治はしかしこれまで経験がなく、その不満が今回の騒ぎになったが、やがてフランスはこの混乱の経験から再び中道の道に戻っていくだろう。アメリカのように右翼に二つもエンジンが付き左翼には一つもない飛行機では今回のような結果になることは歴史的必然だったと言えるだろう、しかも外側のエンジンは今逆噴射さえしている。右も左も強すぎると真ん中の胴体は真っ二つに割れるし、右だけならいづれ墜落する。さて日本だが最初から翼がない飛行機は国産ジェット機ではないが空に舞い上がれない、地上をはい回る以外にないではないか、本当の政治は国民が自ら羽根を作りそして飛び立たないと広い視野は持てない、それはハテ何時になることか。
ルーマニアで日本人女性がアイルランド人の元夫に殺された事件で彼女が日本大使館に助けを求めて駆け込んだ時の日本大使館の対応に問題がなかったという外務大臣の国会での答弁は余りに木で鼻をくくったような答えで大使館の日本人女性への態度と全く同じで問題があったからこそ彼女は殺されてしまったのだろう、自国民を助ける為に元大統領まで対象国に派遣するアメリカとこれほど自国民に対する冷酷さの違いが日本という国の在り方が根源的に間違っていることを露わにしている。彼女は3人の子供を連れ帰国したがっていたのを元夫の承諾を得なければ出来ないと突っ返してしまった日本大使館は彼女がそんな状況ではないからこそ助けを求めて行ったことをまるで市役所の窓口に来た市民にでも返す返事のような言葉で追い返していた、この官僚主義こそが日本の国を亡ぼす元凶であることはアメリカが民主党の官僚主義を嫌いトランプ政権を選んだ経緯に対して何の問題意識も持っていないことを表している。もし日本大使館がもっと親身に他人事対応を取って居なかったら彼女は殺されずに済んだかもしれない。話は変わって村上総務大臣が今世紀末日本の人口が半減することを予測して国はどんな準備をしておく必要があるかを語ったのを批判する言葉がメディアに載っていたが、何も考えずただその日暮らしに明け暮れる連中より村上氏の方が余程日本の未来には大切だと私は思う、勿論何故それほど人口が減ってしまうのかを考えることも大切だが、それで現実は変わらないとしたらその為に何をすべきか考えるのは政治家として誠実ではないか?、ただ前例にのっとった官僚的思考ではこの前例のない危機には対応することは出来ない。それがルーマニア大使館の日本女性に対する対応によく出ているのではないか、元夫に了解を取れるような状況なら彼女はわざわざ大使館に相談になど行くことは無かったはずで、そこをくみ取らずに木で鼻をくくったような外務大臣と同じ対応だったからこそ彼女は殺されとしまったのだ、もっと他人事主義の官僚国家から抜け出さないと本当に日本はアブナイのではないか。<かけがえのない母親を失った未来ある3人の子供は突然路頭に迷ってしまうのに劣化日本大使館はその責任をどうするのか?>
これは私の個人的な考えですが、今回のコロナウイルスの脅威がもし人工的なものであったとするなら人類は今回の過ちを機に生物兵器から手を引くべきではないか?、全く個人的意見を披歴すればおそらく今回のワクチン開発はたった1年くらいで出来たことになっているがそれは本当だろうか?、私には信じられず本当は5,6年掛かっているのではないか、と疑わざるを得ない。そうでなければ5回も6回もワクチンを打たなければならない現状としかも未だにコロナを弱毒化できないものに何故早々と特許の取得を認めたのか、それは最初からそうした目的があったからではないか、もしそうだとすればコロナウイルスそのものももっと早くから存在し研究されていたという疑いが生じる。これほど陰謀論の対象になった病気も珍しいしそれは不自然さが未だに否定されていないからで、今まで例えば新しく出てきた病気で地名を付けられたものなどそれまで例えばエボラ出血熱にしてもエイズにしてもなかったし、中国の反対によって正式には無くなったがそれまではアメリカのトランプ前大統領などは武漢ウイルスとまで呼んでいたのは明らかにアメリカ側がこのウイルスが中国によって作られたものと印象付けたい思惑があったとしか思えないからだ。こうした動きはアフリカで見つかったウイルスにはなかった動きで、明らかに政治的思惑が働いていたのではないかという疑いがぬぐい切れない原因となった、と個人的に私は印象を持っている。そしてその為に世界の安定が破られ人類は危機に陥ることになった、それは未だに続いていて今後この反目が人類そのものの生存に直結しかねない。それはこの細菌兵器がどこの国でも簡単に扱える安価な兵器として用いられることになると、人類はおそらく二度と元の人類には戻れなくなる可能性がある。それを許す権限が一体だれにあるのか、という問題が起きる。しかも生物兵器は自身で勝手に変わることが出来る、今回のウイルスもそうだがもっと凶悪なウイルスだったらその恐ろしさは手が付けられないものになる。ワクチンの特許で儲けを考えるようなものではない、それこそ人類が壊滅的になる存在ではないか、その原因の一つは人類の人口爆発にあり、早急にその抑制策を具体化しないとこの危機は更に酷くなり得る。科学者が個人的思想によってそうした目的をもって作り上げる可能性だって否定できない、戦争もある種人口調整の目的で起こされる、人類が今までの生物の轍を踏まないために、絶滅を逃れたいなら早く人口抑制策を具体的に進めるべきである。
超越的現象学
サハリン2の接収は時間の問題だった、それにしても日本政府の未透視の甘さ欲望だけが先回りする結果の曇りメガネの効用だろう。その手法は既に中国の日中合弁事業で多くの産業に行われ、しかもそこにはODA(政府開発援助)の税金が大量に投入され最後には接収されてきた、それがロシアでまた繰り返されただけのことだ。(しかも中国、東南アジア、ロシアでそうした事業がなされるたび多額の還流資金が政治家に流れてきた、その為に税金が湯水のごとく使われ1200兆円の借金の多くがその中に入っている)。それとは別に対アメリカ政策でも先日前米大使の日米地位協定の交渉の内容からも明かに観て取れた、目先の利益に振り回される日本の保守勢力の短絡的な利権構造が対中国の尖閣国占の動きにも表れて日本の無駄なリスクを高める動きにつなげ、今回の憲法を変える選挙にもまったく同じ過ちを繰り返そうとしている、日米地位協定は手つかずのまま腫れ物の膿に障るかの如くしながら、国内の手を付けやすいものだけを狙う短絡的な保守政治の手法がここでも大活躍、それをまたご丁寧に朝日新聞が取り上げている。日本のメディアの分かりにくさの元には日本文化の基礎がすべて借り物で、中国、欧米の出来上がったモノをとりあえず受け入れ、適当に自分たちの都合よく変形しなし崩し的に都合の悪いものを排除していくやり方が、基本から作るという面倒な作業をしない習慣を作り上げ、しかも基礎の大切さを知らないゆえに創造力という力も知らず、ただ外国の真似を上っ面だけ取り入れ、そのまま無反省に便利な事だけ真似するから、向こうの失敗が意味もなく大きな危機になっていることにも気づかず、この21世紀になって創造力の欠落が致命的ダメージになっているのが、デジタル化のノウハウの基礎に取り付く島もなくペチャンコに潰されているところに今の危機の源がある。しかも悪いことにその導入の時期に超保守政権が出来、ご存じ担当大臣が何のことかも分からない人選が当の総理によってなされ、最初から拒否反応で終わってしまった悲劇に始まり、当政府の目的はそんなデジタル化などには目もくれずに、60年代の安保の蒸し返しと憲法改悪にしか気がなかった悲劇がこの21世紀の凋落を招いたのだった。今からその取り返しが利くか、その方法は?、誰にも答えはない。答えはないが、この参院選の結果はどんな姿になって表れるか、カオスかデジャブか収拾のつかないことに陥る結果にならないことを祈る。
自民党選挙、机上の空論の花盛りで国民を惑わせているが実際に総裁が一人決まれば、一体あの選挙での話はどうなったのか?、でオワリになることは間違いなく、それこそここで発言しないことこそ国民は恐れるべきで、そんな空論をメディアもバカみたいに取り上げて盛り上げているが、現実の例えば流通24年問題はまったく顧みることもなく2024年はまだ終わっているわけではない、自民党は現実の困難な問題には触れもせず架空のそれこそ<ここだけの話>に国民を誑かして終わりにしようとしている、そして24年問題の主役と言えば当然流通問題はカネこそその主役だが、誰一人触れようともしない、そもそも流通の問題はカネの不便さがその根底にあって人類は今この問題によって発展するか滅びようとしているか瀬戸際に立っている、貧富の格差は21世紀の今過去例がないほどの問題になっている、本来流通の為のカネがその役目をせずに巨額のカネをある一か所にフン詰まり状態にさせていることが人類の危機の始まりであり、本来の役目を果たせないその存在が今や人類の存亡を左右しかねないこの悲劇に解決する糸口さえ見いだせない原因は何なのか。例えば流通としてのカネを最も必要とする企業そのものが内部留保と言えば聞こえは良いが、ただ死にガネをため込んでいるだけである、それは何故かと言えば単に不安が原因、つまり自分の稼ぐ能力に不安を感じているだけのことに他ならない、その為に企業は必死に死にガネを内部にため込んでイザという時の為にフン詰まりを起こしている。それら企業や大富豪がため込んでいるのは<不安>そのもの、それは大きくなればなるほど世の中が不安心つまり「不信」になるのは道理。それが経済にどんな悪影響を及ぼし、廻り回って自分にその不都合が押し寄せることなど意に介さない、それが21世紀の危機そのものを引き起こしている。今の政治は自らその危機を引き起こす役目を負っていることなどまったく認識する事すら出来ない無能な存在である。自分たちが利便の為に創り出した貨幣制度に縛り付けられ身動きが取れない状態を自ら作り出しているのが21世紀人類の危機、それの元が<不安>だから戦争を引き起こしている。そんなことには全く理解不能な政治がその戦争を引き起こそうとしている。こんなバカな人類は一度滅びなければダメかもしれない。<父親を車で轢き殺そうとする息子のように>。
超越的現象学
今年は気象庁も認める異常気象で農産物の値段が値上がりして買い物に行くとその日の安い品物を選んで食べるものを決めることが多く、特に今地方ブランド化が進み地元の産品が高くってよそから来た野菜を仕方なく買う羽目になっていることが多い、特にここ山梨は農産物のブランド化が進み地産地消はよほど経済的余裕のある人でなければ出来ないハハ。おそらくここに限らず日本人は地元愛が強いから一応名の知れた産地のものは何処でも値段が高く、地元では手に入らないという現象が起きているのではなかろうか。それは生産者にとってはとても有難いく収入にも良い結果となって地域経済にもプラスになるだろうが、果たして良いことばかりだろうか?、最近は政治の方針もあって果物だけでなく野菜の輸出にも力が入り日本のブランドは海外特に中国の富裕層に人気でその影響もあり、地産地消の声はどこかに消えてしまいつつある、その代わりにスーパーには中国産の品物が所狭しと並び、日本の庶民は安い中国産の野菜でガマンせざるを得ず、それも最近の円安でなかなかの値段がするようになりつつあり、日本の政治のかじ取りは本当に日本の為になっているのかどうか首を傾げざるを得ない状況は、円安のアベノミクス政策の継続でホントに大丈夫なの?、という日々のこの暑い夏、そのお陰でコロナの売り上げ激減の企業は大助かり、ウクライナ紛争のお陰で世界的に需要に満たない生産物は値上がりが続き、円安様様という企業が倒産を免れているところも出て、日本政府は消費者の悲鳴を見ぬふりでご満悦だ。それはともかく、地産地消は何も野菜に限らず、今最も重要視されているエネルギー問題にこそ、地方独自の開発が必要な時ではないか?、今政府は輸入エネルギーに必死になって補助金を充てしかも事故を起こした東京電力には天文学的数字の税金をつぎ込みその体制を保とうとして、今後は更に新しい原発まで作ろうとしているが、その危険性は今のウクライナ紛争を見てもロシアがサポリージャ原発に立て籠りそこからウクライナに攻撃を仕掛け、ウクライナは手も足も出せないのを目の前に見れば明らか。それってもしかして近い将来対中戦争になった時中国から攻撃の的を増やすため?、それじゃぁ安倍さんの政治と変わらないことになるけどそれどこの国からの発注?。そんな危険性を冒すなら、地方にそのカネを出して、地方独自のエネルギー開発を地産地消の大改革に転換した方がよほど効率よく日本経済の再生に寄与すると思うが、安倍氏の死で明らかになったこの国の保守政治の欠陥はそういう本当に国の為になる政治には目もくれず、自分たちの利権の為だけに政治をする体制を決して崩そうとしない。それが日本の為にならないばかりか、日本を壊すためにしかならないのは今のエネルギー政策が日本の赤字を更に増やしている現状を見ても明らかで、それは今の利権を壊したくない政治のエゴイズムでしかないことは、誰の目にも間違いないことだ。エネルギーの地産地消こそ真の愛国産業だと認識すべきではないか、安倍氏の死はその政治のエゴイズムが日本の危機を作り出していることを世間に露わにしたことを今の政治家は忘れてはならない。何が本当の愛国心なのか、もう一度日本の政治を批判することは決して反日ではないことを国民も考え直す機会を安倍氏の死は明らかにしたのではないか。この際自民党は<利権党とかピノキオ党>に名前変更した方が党是に合致しているように思われるが、如何か?。
超越的現象学
子供のころから私は寒がり屋で冬になると自分の住んでいた八ヶ岳の麓が本当に嫌いだった。踵にできるしもやけとあかぎれをさすりながら大人になったら絶対冬のない街に住みたいと願ったものだ、そんなわけで私はつい冬服をたくさん買い込む習性が未だに治らず、しかも気に入ったものはいつも二つ買うことにしているためいざ始末するときは大変で、しかも二つあるとなんでもいつも痛まずに長持ちするため何十年経てもまるで新品のようにあるため捨てるに捨てられない。そこで、私は考えた、<自分の体も二つあればいいのに>と。そうすれば疲れたらその体を休ませもう一方の体で交互に生きれば多分衣服と同じように一つの体より3倍は壊れないで生きられるのに。ただ体を交換するときにどうやって中身を入れ替わるか、それだけが問題でそれまで休んでいた体は当然もう一つの体の記憶は持たないから二つの体はやっぱり別々の生き物になってしまうのではないかと、もしかするとそれがあのジキル博士とハイド氏のような生き方になってしまうのではないかと、ハハ。衣服は全く同じに作られれば他人様には一つの衣服と信じさせられるが人間の体はいくら中身が一つでも体がその前の体の記憶がないから同じ生き方にはつながらないのでは?。つまり同じ時間を共有できないからでそこに肉体のもつ同時性の不可逆性が生じてしまう。一度魂の抜けた肉体はいくら復活してもふたりは一つとはならないどこまで行ってもそれぞれの時間のつなぎ合わせでしかないことになる。となると一つの魂は夫々の体に合わせて別の時間を生きなければならないから、結局二人分の人生を同時に生きなければならないことになる。夏用の体と冬用の体をそれぞれの場所において夏冬別の生き方が出来たらそれが理想だったが、昨今の地球の異変がそんな甘い夢を見る前に、別の生き方を人間に強いる時が迫っているようで、人間の長寿の夢もどうやら今が限界を迎えているのか?。本当は長生きしたいと思うほどこの人間世界は私にはうまくはできていないような気はする。
4月に入り世界は更に激動の様相に入りつつあり、何やら沖縄の海では自衛隊の幹部が乗り込んだ軍用ヘリコプターが謎の消息を絶ち政府を慌てさせているとか、【不用意で絶妙(元総理のイラン訪問時と同じ)なタイミングで?】事故が緊張の地域では突発的な地域紛争に発展することなどの疑心暗鬼を(防衛大臣の責任問題は?)生むことは人間の自然に対する思い上がりや楽に制御し自分たちの思い通りに現実を作り直せるという習慣が歴史の過ちを作る原因となるのは日常見ている通りで、例えば企業の自社製品の試験成績の捏造なども現実を甘く見ている結果として、それが思うとおりに出来ないことから生まれるもので、卑近な例を挙げれば卵の高騰問題も、鳥インフルエンザを人間の力が制御できないことから生じていることの実存と人間の思い上がりのギャップが作り出すもので、もうそろそろ人間はもう少し謙虚に現実に向き合う姿勢に改めた方が良いのではないだろうか?。自然や現実だけではない、人間が自分たちの引き起こした問題のひとつウクライナの戦争も人間は制御できないものになりつつありそれが今や1年を過ぎてもだれにも止められない事態に人間自身が内心困り果て、それが今や人類の生存自体を脅かし始めている。それだけではない人間が作り上げた人工知能もそれ自体が暴走を始めだしその制御が人間の力を超える恐れが現実化し、もしAIが自分の意思で戦争に参加し始めたらそれを誰が制御できるのか誰にも答えは持ちえない世界になりつつある。しかもAIが核を戦争に使い始めたら当然人間に対する配慮などする筈もなく、その結末は想像に難くない。それでも人間は現実を甘く見据え続けるのか?。自分たちが作り上げた捏造がAIに引き継がれそれが人間に押し返してくるという実存がもうすぐ具現化する、それでも人間は今アフガニスタンの戦争を互いに責任のなすりつけをしているように相手の責任にして済ませられるのか、これは明らかに人類滅亡の入り口である、しかもそれが現実を思い通りに変えられると勘違いした結果だとしたら、人間の歴史は過ちの歴史として再び人の踏み込まない異空間に消えていくことになるだろう。ちょうどマヤのマチュピチュ遺跡のような。 沖縄の空と海を自由に動き回れるのは米軍をおいてほかにあるのか、しかもこの地で主役の米軍が何故捜索に加わらないで黙って観ているのか?。(何で我々は子供騙しの無音で飛ぶヘリコプターのVを見せられなければならないのだ)。<カルトで壊れたポチ2代目キシダ君、下手に隠すマネをせずに正直に本当のことを言え、亡くなった10人は謂わばイエスマンの君の身代わりだったことを忘れるな!!>。いいのか、カルトニッポン【失われた78年】のままで!?。
今年はタケノコの当たり年だそうでスーパーには竹のザルに載せられたタケノコが載せられ売られていた、裏年は国内産は滅多にみられずほとんどが中国産の既に水煮にされ真空パックに入ったものしかないので、皮付きのあの可愛い姿を見るとすぐに飛びついて買いたくなる、私はタケノコが大好きで、実家にいたころは母の生まれた家の裏山が竹林で若竹を一本貰ってきて自分の家に裏に植えて、タケノコが出来るのを楽しみに待ったがついに学校を卒業する時までそこから生えたタケノコを食べることは叶わなかった。だから今でもタケノコシーズンになると必ず買ってタケノコご飯を食べる、本当に新鮮な採ったばかりのタケノコはアクがなくそのまま米に入れ炊くことが出来るが買ったものは少なくとも2,3日は経ってしまっているので切り口から既に白い灰汁がにじみ出ている、それを一番大きな鍋に皮ごと入れ重曹を大匙1,2杯と一緒に茹ですぐに流水で冷やしながら皮をはぐ、すると中身は情けないほど小さくなって私の手のひらに載ってまるで生まれたばかりの子猫のように丸くなる、それから一口サイズに切ってコメと一緒に炊き上げるとなんとも言いようのない匂いが立ち上る。その一口を食べる瞬間の至福はどんなご褒美をもらう時よりうれしい、シャキシャキとして口の中で小気味よく切れていく春の贈り物は他の春の野草とは比べ物にならない存在感があり、未だ少し残るアクの苦みと共に私に生きる喜びを与える。そう今年は一本600円くらいの割と小型のタケノコだったがその小さな姿が次に見られるのは再来年になる、若い時にはなんとも思わなかった年越しの再会が決して確実でなくなるこの年になると、この世で最も好きな食べ物が果たして次に食べられるかどうか、それさえもがこの命の尊さとなって私に迫ってくる小さなタケノコの食感となって。