今年はタケノコの当たり年だそうでスーパーには竹のザルに載せられたタケノコが載せられ売られていた、裏年は国内産は滅多にみられずほとんどが中国産の既に水煮にされ真空パックに入ったものしかないので、皮付きのあの可愛い姿を見るとすぐに飛びついて買いたくなる、私はタケノコが大好きで、実家にいたころは母の生まれた家の裏山が竹林で若竹を一本貰ってきて自分の家に裏に植えて、タケノコが出来るのを楽しみに待ったがついに学校を卒業する時までそこから生えたタケノコを食べることは叶わなかった。だから今でもタケノコシーズンになると必ず買ってタケノコご飯を食べる、本当に新鮮な採ったばかりのタケノコはアクがなくそのまま米に入れ炊くことが出来るが買ったものは少なくとも2,3日は経ってしまっているので切り口から既に白い灰汁がにじみ出ている、それを一番大きな鍋に皮ごと入れ重曹を大匙1,2杯と一緒に茹ですぐに流水で冷やしながら皮をはぐ、すると中身は情けないほど小さくなって私の手のひらに載ってまるで生まれたばかりの子猫のように丸くなる、それから一口サイズに切ってコメと一緒に炊き上げるとなんとも言いようのない匂いが立ち上る。その一口を食べる瞬間の至福はどんなご褒美をもらう時よりうれしい、シャキシャキとして口の中で小気味よく切れていく春の贈り物は他の春の野草とは比べ物にならない存在感があり、未だ少し残るアクの苦みと共に私に生きる喜びを与える。そう今年は一本600円くらいの割と小型のタケノコだったがその小さな姿が次に見られるのは再来年になる、若い時にはなんとも思わなかった年越しの再会が決して確実でなくなるこの年になると、この世で最も好きな食べ物が果たして次に食べられるかどうか、それさえもがこの命の尊さとなって私に迫ってくる小さなタケノコの食感となって。
毎年話題になる報道の自由度ランキングの日本、安倍政権から岸田政権に替わっても報道への締め付けは少しも緩んでいない日本の実情が更に自由度を下げていることを物語る、というのも例えばガザの悲惨な戦況はほとんど外国の報道機関からの情報で日本人ジャーナリストの生の報道を私は見たことがない、普段から政権に都合の悪い情報は流さない政治姿勢を私は事あるごとにこのブログでも書いてきたが今回はそれに日本における報道の「真実性」についても是非とも書いておきたい、日本のSNSで度々話題になる誹謗中傷記事のことは誰しも目にし眉を顰めた経験がおありだろう、それは日本では権力に都合の良い姿の歴史が紡がれてきた経緯がそういう報道を許して来たから例えば事件の被害者を誹謗中傷すると言った理不尽な姿が権力や体制を守ることにつながることが奨励されてきたからに他ならないからではないだろうか、だからウソでも大げさでもそれが権力を守るものなら大目に見られてきた歴史が、今の報道の抑圧に自然に繋がっているのではないか、つい最近でも水俣病と認定されない患者たちの訴えを環境大臣が直接聞く場にて患者たちの声を3分で強制的にマイクを終わらせるというニュースがあった。その場面を見ると時間が来ると途中で環境大臣はその場から退場する姿が映し出されていたが、環境省側が3分という一方的な時間を押し付けられること自体が現場では既に報道を抑圧する事に繋がっている印象が非常に大きく感じられる。それは被害者の懇願することを一方的に遮りたいという権力側の都合を力によって国民に押し付ける行為そのものに他ならない。真実をあまり一般社会に知られたくない日本の歴史のなせる業がこの報道の真実を隠す隠蔽姿勢に繋がっているという現実の姿を彷彿とさせ、教育現場の虐めをひた隠す姿につながるものとして、私には一事が万事だとしか思えない、それはこの国のメディアにも責任の一端がありはしないか?、安倍政権時に権力に忖度するメディアの話題が一時問題視されたが、そういう記事を取り扱うメディアはまるで一つ一つの事件が個々の問題のように扱い、一連のものとして権力の性格を追求する姿勢が欠けていること自体既に権力の顔色を窺いながら取り上げている印象が大きく、国民にできるだけ矮小化して見せてきた歴史はなかったか、それがこの国の歴史を歪曲し隠蔽し果ては捏造してきたことに繋がっていると私は強く思う。そして個人ではなく家族とか事件本人だけでなく周囲の人間まで同罪のように扱う日本の犯罪報道がSNSなどで拡散していく今の日本は明らかに民主主義を否定し家族主義、集団主義、国家主義へと広げていく姿はどう見ても21世紀の社会には見えない。それが今でも死刑制度を8割もの国民が肯定する姿勢に繋がり、報道を歪める原因になっていると私は思う。<ところでこの表題だが、国家の正しい歴史認識こそ自国の弱点の認識を直視しリスクの強化をもたらすからに他ならない、今の日本の劣化が何よりそれを証明している>。人類絶滅の最初の請負民族には心してならないよう気をつけよう。
トランプ氏が就任して1か月世界中が驚く様な手を繰り出して目をパチクリ、ハハ。そしてほとんどの国は見て見ぬふりの触らぬ神にだ、しかしこれまでアメリカと切っても切れぬ縁深い日本はそうもいっていられない。その苦心の様は見ての通りだが果たして「どちら様も御覧じろ」と云える結果が得られるか?。先の見通しが立つ人物がもし今日本に居たらどうしたか、私はただひたすら<こんなチャンスは滅多にない>と思うのだが、何故ならトランプ政策の第一の目的は誰の目にも他国の面倒を見ることを拒否するのがその目玉だ、この機会を逃せば日本に未来はない、道は二つに一つそして歴史はこの時どういう道を選ぶかをやがて評価することが日本にとっていかに大事であったかを述懐することだろう。日本が敗戦後いかに立ち直りその地位を立て直すことになったかをその時初めて評価できるかどうかが決まる。今その時が来ている、と私は思うがあなたはどうか?。ある意味でトランプ氏は日本にそういう機会を与えてくれているのではないか、この機会を逃せば二度と日本に自立のチャンスはない(戦後最大かつ最後のチャンス!)、もし今の総理にその勇気がないなら直ちにトップを変えて別の人物に変えてでも日本は独自の道を選ぶべきだ、今のトランプ氏の政治的選択を見ていると私にはそれが最も出来るチャンスに思える、そして世界も日本が今アメリカから独立するのを邪魔しようとする国はどこもないだろう、兄弟国と言われる英国でさえアメリカとは一緒に運命を共にすることは不可能だと判断している、いわんや日本ならなおさら、こんな機会が他にあろうか?、悪いことは言わないひと時都合の悪いことが起こることはあっても、やがてあの時決断してよかった、と思える時が必ず来る、私はそう確信している。時はまたない今がその時だ。<これまで十数年私がブログで主張してきたことを理解している人は私の判断が間違っていないことを解ってくれるだろう>。
明治以降サムライが商売してうまくいったためしはない、サムライは所詮喧嘩が上手いだけ、商売(経済)は喧嘩ではない。それがこの国の政治が上手くいかない基本理由、違うか?。そもそも外国とうまくお付き合いして儲けるには商人の手法が必要で喧嘩をやって相手から分捕る手法では近所づきあいは険悪になるばかり。自民党の政治はそれが実に分かりやすい、自民党のサムライ政治は相手を怒らすばかり、しかも国民は脅して「あぁしろ、こうしろ」ばかり。そんな商売がうまくいくわけがない、所詮馬鹿の一つ覚え(ケンカ)商売、複雑な駆け引きが必要な取引がサムライにできるわけはない。この世界は自分より弱い国ばかりではなく、今度は強い相手(強国)にはヘイコラするばかり、これも弱いサムライの世渡り下手がそのまま。これが日本の実情の姿、違うか?。自民党さんそろそろサムライ商売から手を引いたら、そうしないと江戸時代の終焉と同じ結果になるよ。今はもう150年前と同じ列強が周りを囲んで第2の開国を迫り、クロフネがわんさか押しかけている。しかも国内は全てに人材が足りなくてカネも足りない、何をどうしたって喧嘩にはならない。少しくらいテッポウ(時代遅れのミサイル)を仕入れてみたって焼け石に水。違うかい?。生ぬるい湯につかりすぎた時間はもう戻らない。自分たちの時代は終わった、という観念も必要ではないか。統一教会に洗脳されて「日本を取り戻す」もへったくれもないだろう、どうせ大陸儒教カルトに乗っ取られている体が、自民党さん日本を取り戻すまえに統一教会から日本人が取られた莫大なカネ(大切な老後資金)を取り戻すのが先ではないか?。国民の皆さんも自公他(保守)と心中するつもりなの?。
どう?あのルフィ、キムの強盗殺傷事件がまるでなかったかのように日本社会から消えてしまった(何故だ?)、これが日本(闇統制、ひょっとして安倍晋三氏銃殺事件は?)社会のコワサなのだ。
午後9時の時点ではNHKだけだが、群馬県高崎市長選は野党候補の挑戦者が現役市長を破って当選確実だと。自民党系知事とこれから大変だと思うが市民が背中を押して頑張って欲しい、税金面などでの優遇策が受けられなくなることも予想されるから市の運営に影響が出そうであの沖縄のように県にではなく直接市に補助金を配る自公政権のことだからきっと同じような意地悪な手を使うことがあり得る、ただ今回国民全体が自公政治のあからさまな反日政治に気付いたことから、そういうやり口がもう通用しない政治に変えないと日本そのものが世界で取り残されていくことは間違いないことを学んだはずで、日本全体を高崎市のように変えていくことが日本を救うことになる。支持率を見ると能登地震で一時戻りそうだったが、岸田政権の裏金対応が再び支持率を下げている、それは国民がもうその手には乗らないと固く心を決めている証拠でもある。国民が保守政治に苦しんでいるのは、今アメリカでも大統領予備選挙戦が始まっているが、アメリカが今や日本にとってけっして有益なことばかりの国ではなく、言いなりになっている自公政権では決して日本の未来は安全ではないことを、日本国民も理解し始めていると私は考える。というのもロシアーウクライナ、イスラエルーパレスチナ、そして対中国全部アメリカの政治から始まっていることを日本人も理解してきたからに他ならない。それから見てもこのまま日本の政治がアメリカの言いなりの政治を続ければどうなるか?、安倍晋三氏が台湾有事に核を使うことを訴えていた事実が何を意味するか、真剣に考えないとそれこそ他人事で済むわけがなく、広島、長崎の悪夢を日本は再び体験することになる。「戦争はダメだ」と他人事みたいに繰り返すだけでは戦争を回避できない、そのことを日本人は認識し始めていることが、高崎市長選挙に現れ始めた、と言える結果にしないと本当に日本は壊れていく。
超越的現象学
改めて2匹の蛇が互いの尻尾(ウクライナ)をめぐって共食いの矛盾にイラついてそのとばっちりを日本に向けている。勿論それは昔から黒海は両方の交易にとって最も重要な要衝でそのためにウクライナは双方の取り合いの歴史を何度も繰り返してきたことは、クリミヤの百年戦争の歴史をみても明らかで、今回互いの利権をめぐってアメリカと欧州の亀裂がNATO内でトランプ氏の言動から表面化してその結果がロシアに対するウクライナ安保に現れ、紛争の長期化にどちらもイライラが募っている、しかも同盟国と云いながらアメリカは日本には天然ガスも原油も安全保障を理由に輸出さえしない、そこで日本はロシアに対して喉から手が出るほどエネルギーが欲しいのが当然で、プーチン氏に近づいてそれを手に入れようとして彼の掌中にハマった。今回西側、ロシア双方からその矛盾の矛先が日本に向けられている、というわけだ。この三つ巴の矛盾が先鋭化してくると、力学は当然立場の弱いほうに向けられる。岸田総理はロシア、欧米双方から攻められ立場は苦しい、しかも外務大臣がわざわざポーランドに出向いてウクライナ難民を僅か20人連れて帰ってきた結果が、よけい西側をイライラさせている。それが日本の保守政治の閉鎖性を世界に向けてアピールして更に日本を苦しい立場に追い込んでいる。それが今回の本来の原因であるアメリカ政治の内部矛盾を覆い隠す格好の材料となって、日本を責め立てる元にしてきている。しかしいくら日本を責め立ててもウクライナの危機は解決はしない。日本はそれをきちんと国際社会に向け説明しなければ立場が苦しくなるばかりだが、悲しいかな<ゼレンスキー氏のような>それを主張できる政治家この国にはいない、これは戦前の日本と同じような状況になり得るが、日本の政治家は単に軍備増強でそれを解決できると思い込んでいる。また戦前の二の舞を踏むだけでそれが国際社会の力の論理の結果で、本当の解決にはならないことは欧米もロシアもよく承知しているはずだが、これは歴史が今までのような戦争で解決できないより深刻な状況は、ロシアの人権委員会からの除名に対する世界の姿勢の結果を見ても明らかで、93か国が除名に賛成したと言っても、反対、棄権の合計80か国を見ればわずか13か国の差でしかない。つまり世界がまともに2分化されている現状はいくら日本を責め立てても解決できる矛盾ではないことは明らか。ここに私の人類が滅亡の淵に立たされている、という主張の根拠があり、このままロシアとNATOが互いの矛盾を角突き合えば、第二次大戦の悲劇の比ではない結果となる。双方この歴史上類を見ない危機に謙虚に向き合う時で、今人類はその剣が峰に立たされている。
無事に2025年が始まりました、尤もそれは表面的にそう見えるあるいは昨年のような災害から始まったことから見れば、という表現の方が正しいのかもしれません、どちらにしても皆さま今年もよろしくお願いします、さて昭和100年言ってみればこの昭和のもつ雰囲気こそ外国人観光客にとっては日本を訪れる最大の目的と言うことのようで今も地方では昭和の雰囲気を壊さないよう様々な努力をしているのは外人さんたちを呼び込むための涙ぐましい目的だからであります。私の生まれた昭和が何故外国人に魅力的に映るのか、令和の今になると昭和生まれの私などが大正ロマンに憧れるのと同じ感覚であることは間違いなく、例えばアメリカ人が西部劇の時代に懐かしさを人前で堂々としゃべれないことの裏返しがむしろ日本ではそういうことを感じないで済むからではないかと思えるからではないかと。おそらく今回何故トランプ氏が勝ったのかということにしてもアメリカ人が堂々とその理由をしゃべらないことと西部劇を自分たちも自慢したい気持ちがそれを代替えしているような、というのもカマラ・ハリス氏は謂わば♯Metoo運動の反動の象徴対象になってしまった結果だとしても表立ってそんなことは言えないのと同じで、日本の昭和に憧れてやってくるアメリカ人が日鉄のUSスチール買収をバイデン氏もトランプ氏も拒否したことの言葉としては出さない事と同じ部類の心持に、日本人がその代償として期待するのはどちらも同じもののような気が私にはします。そのくらい2025年という年は日本人にとってもアメリカ人にとってもこれまでとは違う年になることは間違いないと一抹の期待と不安が入り混じるわけで、どちら様もこころして25年を迎えましょう?。
超越的現象学
ほとんど梅雨末期のいたたまれない今日この頃、家の中にあるものすべてにカビの毛が生えだしてきそうな不愉快さは日本でも今が最も危険な時期に入ったか。空を見上げればどんよりと黒く垂れ下がった雨雲がまるでサタンの子供たちにその黒い乳房を含ませようと思いっきり毒の入った乳をため込んで「さぁ好きなだけお飲み」と言っているかのようだ。そのお陰なのか地上では今日もコロナの猛威が毎日人を新しい病の入口へと誘い込みその黒い乳房を与えて苦しみに誘う母親の狂った愛情で深く傷つく人々がのたうち回っている。さてもそんな時には静かに回転いすに深く腰を下ろし「惡の華」でも紐解きながら静かに唇薄き母の愛に餓えた詩人のこの世のものとも思えない恋の酸えた排気の残り香でも味わいながら夢想の世界に旅立とうではないか、おうそうだ、こんな時にちょうど良い飲み物が食器棚のグラスの中に飲み残してあった、あれを燻らしながら一口その芳醇な煙立つ喉が掻き切れそうな雫で今宵は激しい動悸と噎せ返る様な豊かな黴臭いワインに酔い痴れようではないか。そして夢の中に恋人とも母親ともつかない二人の女性を誘い込みいつしか二人が悲しみに物思いに陥る前に用意しておいたレコードを回しながら陽気にDJさながらまたとない心地よい昼間のうちにたっぷりと貯めておいた明かりをその上に降り注ぎながら「この世界に愛あれ」と叫ぶのだ。それだけで十分ではないか、誰も幻想の世界に豊かなブドウの毒汁など持ち込むものはいないのだから。そういえばいつからか地上はいつもかつて物静かなほのかに木々の葉が清浄な一滴を麦わら帽子の下の青白い額に掬い落してくれた緑が黒い妖怪の手のように気味悪い塊になり、誰も口を利かなくなって開き切った口の目の先には自ら命を絶つ国の赤黒い舌が垂れ下がっているのを見ているだけだ。
所得税減税の人気がない、ということで岸田政権が清水の舞台から飛び降りたとっておきの秘策も不発に終わりそうだという。そしたらせっかく旧統一教会が100億円も政府にくれるというのなら有難く頂戴してそれを原資にして減税をしたら?、減税の原資がない、と財務大臣が嘆いているとニュースにあった、それを読むときっと統一教会は岸田政権が100億円に飛びつくのでは?、と思っても不思議ではない、ヘヘ。冗談ともかくコロナ過が終わり人手不足があちこちで表面化しているのに政府が開店休業状態で動かない?、特に旅行業界の宿泊業が人手不足で365日24時間営業が生業だった旅館が週4日の営業にせざるを得ないという、勿論旅館と言えば女性の活躍によって成り立っている現状が日本の姿で、旅館に着くと同時に物腰のやわらかい仲居さんが部屋に来て旅の疲れを癒してくれるあの瞬間が旅人にとっては至福の瞬間なのだが、しかし、106万円の壁がそそくさと仲居さんの姿が見えなくなる原因だったとは。いかにも寂しい、それは日本では女房は夫の付属物で旅館の客より旦那様のお帰りを家にいて待たなくてはならないから、時間が来ればさっさと客をおいて家に戻らなくてはならないからだ、それが106万円の壁。旅行客にとって仲居さんのサービスがあるからこそ旅の醍醐味がホテルではなく旅館に外国人客を引き付けるのに。そしてとうとうその営業も週4日になり日本から旅館の灯が次第に消えてゆくことになるのはもう時間の問題。いくら減税されても働くところがなくなれば元も子もなくなる日本の女性たち、かと言って旦那の給料だけでは自分の老後が今夫が亡くなった老女たちの姿を見ればもう絶望のどん底、しかも夫の仕事が一人親方の建設業となればインボイス制度で今年から更に税金を乾いた雑巾を更に絞りだすように厳しく摂られ、子供を大学に入れるカネさえ作れない有様、それをどうやって減税だなんて喜んでいられようか、一人の人間として働くことのできないこの国の制度、ただ付属物として最後はゴミのように邪魔者扱いにされる姥捨ての国、単なる106万円の壁というがその体制の惨さは到底男たちには分からない。自分はさっさと死んでしまえばあとに残された女の行方なぞ誰も気にはしないこの国。それでいいのだろうか?。女から彼女の人生を奪う権利は誰にもない筈だ。毎日小さな買い物カートを引いて歩くおばぁちゃんの姿、街角で見ない日はない。