自民党政治は何故国民に裏金の存在を隠し続けてきたのか?、この最も素朴な疑問を是非今夜は紐解いてみたいと思う、そうしなければ自民党政治の本質にたどり着けないからである。何に使ったのかを問うよりなぜ国民から隠し続けたのかを問う方が保守政治の本心を解る手立てになる、と私は考えるからである。ひとつ前のブログで私が言いたかったことは、単に街灯の華奢な作りを不満に思ったからではない、そこには本来の目的とは違う見せかけのものがあるのではないか、というより本質的な問いを皆さんに考えて欲しかったからで、自民党政治の本質につながる国民に対する保守政治の態度が隠されていることそのことが、実はこの裏金の存在ではないかと、でなければこの大騒ぎの説明がつかない。そして実は例えばパーティー収入だけではない茂木氏の5億円を超えるカネの行方を何故自民党は隠し続けなければならないのか、金額の問題ではなくカネの性質の問題がそこに隠されているはずだからである。そこに自民党の政治の本質があると私は考える、人が何かを隠したいと考えるのは例えば家庭での出来事を世間の目から隠したいという時、そこには世間の目の敵意を恐れるからで、何故ならこの国の場合直ぐ連想されるのは誹謗中傷である、その恐怖はご存じのように自殺にまで至る、その社会性の本質は以前にも別のブログに書いたが、この国の文化の他人事態度にあり厳密な意味において根底に他を否定する文化であり、単に共生するのは便宜上社会を構成するためだからである、つまり否定の文化が他人事という非情な社会を作り上げているからで、その証拠に日本では家族ごと死を簡単に選ぶ心中行動がある、つい最近も父親と4人の子供のが心中した事件が起きたばかりで、それは家族がいかにこの社会の中で孤立しているかを物語り、他人事文化が基本である証拠である。だからこそ手助けより先に誹謗中傷がある。そのことを前提に自民党の裏金の仕組みを考えれば政治集団としての組織である自民党の本質は決して国民の為の政治ではなく、自分たちの為の政治として成り立っている、だからこそ裏金は国民に対して見せてはならない、何故なら今のように誹謗中傷の対象であるからに違いなく、彼らにとって国民は決して味方ではなく誹謗中傷の対象でしかないからである。それを知っているからこそ自民党は裏金を国民に説明するより隠そうと決めた、それは自分たち保守政治の性格そのものが誹謗中傷の政治だから、茂木氏の性格が恫喝的な政治だということを裏付けている、そこに信頼関係は成立する筈がない、日本の政治に信頼関係が成立しないのはそれが為であり、それが裏カネの存在となる、私の考えは以上であり信なくば立たずとよく自民党の幹部が口にする言葉には、<ないものねだり>、もともと存在しない国民との信頼関係、他人事文化の存在があると私は考えるからである。
超越的現象学
いやぁ驚いたね、川口市の立てこもり事件の長久保某容疑者(?)の達筆、私は自分がヘビがのたくったような字しか書けないのであの容姿(失礼)からは想像できない彼を取材していたジャーナリストとの手紙の文には感心した。およそ彼の文と行動との釣り合いの取れないものに私は悲哀すら感じざるを得ない。およそ世の中の犯罪でか弱い女性を人質にとるという卑劣さには彼の性格的な弱さが表されているのだろう。それはあの大阪の26人もの犠牲者を出した精神科医院の放火事件にも共通するが、この種の犯罪の最たるものがあのオウム真理教事件といえるだろう。かく言う私も実は危ない年ごろがあった、おそらく日本人でそういう時期を持たなかった人間は居ないのではないか、と私は密かに想っている。それは私のブログを読まれている人も感じておられるのかもしれないが、そのちょうど危ない時期に私は幸運にも人に巡り合い、書物に巡り合ってその難を逃れて今に至っているというのが偽らざる心情である、ハハ。これまでも何度かその問題には触れてきた、日本社会の姿、その極限は太平洋戦争の結末であり、そのままほ放っておくと日本社会はとてつもない悲惨な状況になるのは既に歴史が証明しており、今更私が説明する必要もない、しかしてその悲惨さをおそらくあの長久保容疑者も指摘したかったのではないだろうか、ただ不幸なことに彼は自分のこの社会において身の置き所を失い、あんな犯罪に陥らざるを得なくなったこと、それはオウムの故浅原死刑囚も同じことで、単刀直入に言えば、この日本社会の狂気(否定の原理)が彼らを犯罪者に追い詰めてしまうものを内包しているからに他ならない。それは種類こそ違うが今回の持続化給付詐欺事件もこの政策の在り方が見方を変えれば彼らを犯罪者に仕立て上げてしまった、とも言えなくもあるまい。その姿は性善説によるものなどという生易しいものではなく、私がこのブログを通してずっと警告し続けてきた、日本社会の危うさであり国際社会と相いれない狂気の姿を内包している姿と云えるのである。短いブログの文章でこれを説明するには大変で、それはこれまでの私のブログを読んでいただくしかないが、今の日本社会の体制から見ればそれこそ私こそクルッテいるようにしか見えないだろう、と私は常日頃考え、そのために文章の在り方に気を付けこれまでどうしたら人々に気づいてもらえるかを必死に考えてきた。それを救ってくれたのが青春時代に私を文学に眼を開かせてくれた父のような存在と、書物、例えば倉田百三の「愛と認識との出発」であり、フッサールの「超越論」であり、またアランの「芸術論集」、更に詩人の金子みすゞの詩であった。金子みすゞの昼間の見えない星の詩こそ、真実こそ見えないがそこにちゃんとあるんだよ、<明るければすべてが見える>というものではない、ということを私に教えてくれた救い主だった、それで私は自分が<あきめくら>であることに気づいたのだった、アハハ。そんなことより、今の犯罪者を作り上げるこの日本社会の体制、それをどうするか?、解決しないと今後あのオウムサリン事件よりもっと悲惨な核戦争を誘発(自己否定)することになりはしないか?、と私が恐れているのはそこだ。
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こちらにオジャマしてきて私のブログに果たしてどれほどの人が関心を示してくださっているのか全く分からないが、ときどき私は<果たして私は一体誰に話しかけている?>と考えてしまう。すれば早速「イヤならやめろ」と声がかかりそうだが、ハハ、世間ではロンパがどうしたとかカンパがどうとか全く見当違いのモノの見方が一方ではありこの国のかわら版的世間知の四辻集合体の難しさには、ゴハン論法は許容しても何のチカラもない人間がしゃしゃり出てくる余地はないようで、そこに利権の力技が加わるとこんな風に、社会が壊れていくのが面白い風潮が生まれることになるものだと、しかして今回も壊れ行く国を更に推し進める選挙があり、その後バカだけがのさばる国となり、外交だって賢く付き合えば敵など作らずに済み、それが出来ないとどうなるかおよそ見当はつくというもの。だって惰性以外の何物でもない何一つ変わらない構造のイベントではあり、危機感の喜の字もそれを歓ぶ風なゴハン論法に変わり、今や壊れた日本語は中身などどうでもいい人たちによって少しくらい顔が良ければだれでもTVに出られそうなイレモノとなり、そんな中で<?>で終わりそうな私の言うことなど勿論猫が立ち止まって首をひねればそれでオワリ、投票に行くのは御子ヅカイをいただいたヒマそうな老人だけ、という構図は変わらない。何が危機感か⁈、馬耳東風に冷ややっこが乗りその上にふやけた茹でガエルがハチマキをして、そういえば最近の選挙にはハチマキさえなくなり、皆さん髪型をなでつけ少しでも容姿が崩れないように後ろには美容師さんが控えて一度街頭演説が終わればすぐさま大型の車に入り、お化粧直しに専念する時代、ただ訳の分からない話で笑顔を振りまきさえすれば後は事前にバラまいたモノで勝負。アレところでオレは何の話を?。そうそう、―ヒトは来てヒトは去りまた次に来るのはどんなヒト―?、どうでもいいヒト、というはなしではありました。お後がよろしいようで。
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私が別のブログで日本の教育は革命的変革が必要だと書いたら、なんと昨日TV番組(日曜夜7時テレ朝系<ナニコレ珍百景>)で和歌山県の山の中にもう30年も前から全く別の教育方針の私立学校がある、と紹介され私も興味津々で見たが、実に驚くべきもので日本中の小中学校がこんな教育になったら子供たちはどんなに勉強が楽しく、いじめもなく本当の意味ですくすく育つのではなかろうか、と感激した。一番大切なのはいじめのない学校でなければ学校など何の意味もない、ということだ。もともと虐めは日本社会の歪んだ体制の価値観を子供に摺りこもうとするところから生まれ、そういう目的の元で教育さえしなければ虐めは生まれない。もし公立学校でこうした教育が無理なら全部私立学校にして国は私立学校に公費を補助し運営には口を出さない教育に変えたらどうだろうか。しかも学年に分けて教科書を作ることなど意味がないことはこの学校の運営方法を見れば明らかで、しかも基礎勉強の確かさは公立など足元にも及ばない、実に素晴らしい教育方法で何より子供たちがこんなにのびのびと活き活きと生活している学校は見たことがない、最初から最後まで国が決めた規律で子どもたちを縛る教育など差別といじめを作る元でしかない。かの学校ではカリキュラムから勉強方法まで全部子供たちが決め自分たちの考えた方法で学習している。その自主性と主体性こそ今の日本に必要な自立心を養う方法であり、これぞ子供を一人前の大人に育てる教育だと私は感心した。しかも先生も生徒もなく同じ友達のように上下の区別のない生活でも自分たちの決めた規律に従って生活しているから全く混乱や喧嘩は発生しない。全員が納得した形で学校運営をするからコミュニケーションが実に豊かで、仲間外れもない。これは世界に誇れる学校だと私は思う。もともと子供達には男も女も大人も子供もない同じ人間なのだ、それをそのまま認めて見守ってやれば子供はすくすく育つ。素晴らしい教育環境だ。是非こういう学校運営をしたい私立の経営者はこの学校を見に行って参考にしてほしい。ただ問題はこうした私立学校の教育費がこの国ではどれほど負担が生じるのか、それだけが気がかりではある。教育にはカネが必要だからだ。そこで国家がいかに教育に力を入れるか入れないか、今公立学校の問題は少子化問題もこの点にあり、国の発展は子供に如何に必要なカネを掛けるかにかかっている。この学校の卒業生たちを取材した続編ルポをぜひ放送してほしい。
G7は一体何の目的で広島に?、岸田総理は核廃絶を叫んでその目的をG7で主張したい、と語っているが米国の核の傘の下で安全保障を得ているという保守の主張との論理の破綻、更に米国のバイデン氏は対中国包囲網を築き上げるためにはG7の協力が是非とも必要で、その為に核の役割を否定することは不可能ではないかと韓国の大統領とは約束している、ロシアと中国が結束して西側と対抗している現状で、ロシアの主張する核による攻撃も辞さないというウクライナ大統領参加で次の戦争がウクライナで終結する見込みは事実上ほとんどない今の国際情勢ではG7が単なる西側のアメリカ内紛を世界対立仕立ての場で終わらせる可能性が濃厚だろう、何せ見ていても開催国の日本そのものが変わろうという気持ちは全く見えず、核廃絶など全く思ってもいないことは明白で、故安倍元総理が「核共有」をアメリカに持ち掛けた話の方がずっと国民には現実的だと思っているようにすら見える。つまりアジアで次の核戦争を、という要求を日本人自身が考えていることの方が、岸田総理の軍事費増強政策から見ても、現実的で、この国の自己否定の原理にも沿って右翼政治家たちはアメリカが対中強硬論をひっさげ核戦争も辞さない態度をG7で表明することを期待しているとさえ見える。それは決して絵空事ではなく、台湾有事には中国はともかく、ロシアはウクライナの次にもし台湾との対決が起きた時には核を持って参戦することはほぼ間違いない、勿論その時までプーチン氏がロシアの大統領に留まるか存命しているかにもよるが、ロシアの野心は次に何を狙っているか既に明らかで、しかも西側よりはるかに多くのG20の国では中国、ロシアの側に近いブラジル、トルコ、イランなどが少なくともアメリカ側にはつかないことは明らかになっている、そんな中で果たしてアメリカは対中強硬姿勢をどこまで貫くのか、これまで自国に不利益だと見るや手のひらを返すように態度を変えてきた歴史を持つアメリカが一国になる最後まで日本を守る約束を貫くのか、台湾有事に先ず日本をけしかける目的の今回のG7でもほかの各国、フランス、ドイツなどはその後はどういう態度を示すか、クァッドと呼ばれるインドを含めた対中包囲網は既に破綻して、事実上開催は無くなりアメリカの思惑は崩れている事実を日本国民は知っているのか?。核廃絶はおろか気が付けば太平洋で日本だけ独りぼっちになりかねない今度のG7に、岸田総理は一体何を賭ける?。大切なのは真実の見極めですよ、とかく捏造癖の強い右や左の旦那さま。
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改めて2匹の蛇が互いの尻尾(ウクライナ)をめぐって共食いの矛盾にイラついてそのとばっちりを日本に向けている。勿論それは昔から黒海は両方の交易にとって最も重要な要衝でそのためにウクライナは双方の取り合いの歴史を何度も繰り返してきたことは、クリミヤの百年戦争の歴史をみても明らかで、今回互いの利権をめぐってアメリカと欧州の亀裂がNATO内でトランプ氏の言動から表面化してその結果がロシアに対するウクライナ安保に現れ、紛争の長期化にどちらもイライラが募っている、しかも同盟国と云いながらアメリカは日本には天然ガスも原油も安全保障を理由に輸出さえしない、そこで日本はロシアに対して喉から手が出るほどエネルギーが欲しいのが当然で、プーチン氏に近づいてそれを手に入れようとして彼の掌中にハマった。今回西側、ロシア双方からその矛盾の矛先が日本に向けられている、というわけだ。この三つ巴の矛盾が先鋭化してくると、力学は当然立場の弱いほうに向けられる。岸田総理はロシア、欧米双方から攻められ立場は苦しい、しかも外務大臣がわざわざポーランドに出向いてウクライナ難民を僅か20人連れて帰ってきた結果が、よけい西側をイライラさせている。それが日本の保守政治の閉鎖性を世界に向けてアピールして更に日本を苦しい立場に追い込んでいる。それが今回の本来の原因であるアメリカ政治の内部矛盾を覆い隠す格好の材料となって、日本を責め立てる元にしてきている。しかしいくら日本を責め立ててもウクライナの危機は解決はしない。日本はそれをきちんと国際社会に向け説明しなければ立場が苦しくなるばかりだが、悲しいかな<ゼレンスキー氏のような>それを主張できる政治家この国にはいない、これは戦前の日本と同じような状況になり得るが、日本の政治家は単に軍備増強でそれを解決できると思い込んでいる。また戦前の二の舞を踏むだけでそれが国際社会の力の論理の結果で、本当の解決にはならないことは欧米もロシアもよく承知しているはずだが、これは歴史が今までのような戦争で解決できないより深刻な状況は、ロシアの人権委員会からの除名に対する世界の姿勢の結果を見ても明らかで、93か国が除名に賛成したと言っても、反対、棄権の合計80か国を見ればわずか13か国の差でしかない。つまり世界がまともに2分化されている現状はいくら日本を責め立てても解決できる矛盾ではないことは明らか。ここに私の人類が滅亡の淵に立たされている、という主張の根拠があり、このままロシアとNATOが互いの矛盾を角突き合えば、第二次大戦の悲劇の比ではない結果となる。双方この歴史上類を見ない危機に謙虚に向き合う時で、今人類はその剣が峰に立たされている。
さぁ、これからが本番ですよ、ヘヘ、これまで職業の華と言われてきた官僚になりたがる学生が減っているという話し、何故だか理由がわかる人にはお分かりですね。日本の政治の質の問題がその根っこにあるのはご存じでしょう。基本頭のいい官僚が何故バカな政治家の言うことを聞かなければならないのか、その不満が官僚たちに鬱積しているのがその理由、そして当の政治家たちも利権のうまみが激減している今の日本ではそのバカな政治家でさえなり手が減りつつある。利権政治の(リニア工事のゴタゴタ?)末期症状、戦後の経済成長期に利権のうまみをたらふく食い散らかしたバカ政治家どもにもどうやら今後は戦争でも起こさない限りうまみを腹いっぱい食うことは能わずということを理解し始め、それがこの国を更に窮地に追い込みつつある、それが今の日本の危機だということを再三私は叫んできました。さぁこの後はどうなるでしょう?。このままでいけば日本は崩壊します、当然の成り行きです。これが本当の危機だという理解をしていない、それが所謂他人事国家の悲劇、だから官僚の起草する文章には危機意識が全くない、安全保障の内容の危機意識はただアメリカからのもらい物にすぎず、だから武器さえアメリカから買えばそれで危機は無くなる、というもの。その程度の危機意識しか日本人にはない。自ら持つ危機管理のなさは既に昨日の自衛隊の事件で明らか、自分に都合の良い性善説を作り上げ下の者は上のものに対して敬意を持つのが当たり前、というタテ社会性善説に立って物事を都合よく組み立ててきた日本社会がどれほど危機に弱いのかを昨日の事件はものの見事に表明している。さあ、国民の皆さんこれからはこの安全意識がこの国を更に壊していくことになるでしょう、本当の危機意識をもってこの国の政治を作り直すのはこれからこの国で生きていく皆さん自身です、それが当事者意識というもの、それが出来なければ、この国は終わりますよ。 <広島生まれの政治家に当事者能力があれば、アメリカの核の傘が日本を守ってくれるなどと言う幻想を(ウクライナは人類生存の危機につながっていく)抱く政府が成立することはあり得ない、これは目の前の現実です>。爆弾を提供しながら次の利権を求めてウクライナ復興ODA(税金持ち出し)会議か?、はぁ~あ戦争が終わる気配も見えないのに ―ウクライナは第二のミャンマーか―。内外全て 他人事感覚でやる政治(そのツケはカネ〔千三百兆円〕だけでなく世界から白い目で見られる苦痛も国民の背中に)。
先日来東京都多摩地区の水道水汚染による被害について新聞などで騒がれている汚染物質は米軍横田基地から流出している疑惑があっても、アメリカ軍の拒否によってその特定が出来ないという。日本の領土でありながら米軍基地は日米地位協定の取り決めから汚染物質を垂れ流されて付近の住民に被害が及んでもその原因を調べることも出来ない、これは何も横田基地に限らず全国どこの米軍基地でも同じで、日米地位協定がある限り日本側の権利が阻害されているのは承知の通り、問題は今国会で盛んにやり取りされている岸田総理の新たな反撃能力という武力攻撃の問題である、それは日本側が米軍基地内部の調査さえ拒否されているアメリカ軍基地がもし他国軍から攻撃されたら日本も武力攻撃をもって反撃しなくてはならない、という矛盾が生ずることである。米軍の垂れ流す毒物によって周辺の日本人が汚染されても調査もできない米軍基地が攻撃された時だけ何故日本の武力を使って反撃もしくは先制攻撃しなければいけないのか?、そんな取り決めのための岸田総理の「反撃能力」とは一体何なのか。少なくとも今の日米地位協定からすれば日本の米軍基地は日本の領土ではない、治外法権のアメリカ軍領土と同じであり、そこに外国軍が攻撃をしたからと言って日本が反撃する合理性はどこにも存在しない。もし今の日本政府の説明に日本国民が納得するなら、先に日米地位協定をまず廃棄して日本の領土に返してから米軍基地を日本側がどうするのか決めてから、改めてこの反撃能力の武力は議論すべきではないか?。今米軍基地は実質日本の領土ではない、基地内の汚染物質の調査も出来ない米軍基地をなぜ日本が守らなければいけないのか、こんな矛盾で日本人の健康被害には全く見向きもしない米軍基地など日本を守るどころか日本にとっては危険極まりない存在なのは現実を見て見ぬふりをする日本政府の政治家にしかその存在は有難いものには到底見えない。そんな米軍を何故日本の武力が守らなければならないのか、これでは本末転倒、日本がアメリカを守っているだけだろう。今の国会でのやり取りは滑稽な漫才のボケ突っ込みにしか見えない。矛盾の上に立つコントはお笑い芸人に任せるべきで、本当の日本政治家ならまずこの矛盾を国家としてどうするのかが先決だろう。
日本の文化が自己否定文化だという証拠がメディアに載っていた、83㌫の国民が死刑制度に賛成だという記事だ、それは特攻隊に志願した我が子を「バンザイ」と言って送り出した終戦末期のこの国の姿そのままだ。だからいくら死刑を執行してもこの国から犯罪は無くならない、ある意味この国では死刑になることは自己犠牲の象徴でもある、自分自身が死刑になることによって社会にこの国の在り方を見直させる契機と考えたり、あるいはそれによってこの社会に復讐をしたりするという言わば捨て身の覚悟を社会に知らしめたりすることになるからである、それが自分から死刑を望む犯罪者が出てくる日本社会の姿であり、体制の側も死刑にする犯罪者はいわば自分自身の鏡のような存在であるところは、オウム真理教信者を死刑にした安倍政権もまた統一教会の反日カルト思想に洗脳されていたことを証拠立てた証そのものだったことがそれを如実に示している<安倍政権に参加しなくても統一教会の反日思想に心酔していた自民党議員は今でもいっぱいいる>。こういう国で死刑とは一体何なのか?、国民はもう一度このことを考え直すことが必要ではないか。日本とは一体何か改めて自分たちの生きざまを、死刑が自分たちの身近で起きた時それは我が子を特攻隊として国に上納したあるべき姿として「バンザイ」という心境で我が子を死刑に送り出すこととどう違うのか、それが死刑賛成83㌫という数字であるということに繫がることにならないのは何故か。「他人事社会」の姿が誰一人それが自分の問題として捉える能力に欠けているからに他ならないことを、それが日本の姿そのものである、死刑制度が日本の否定社会を「特攻隊」そのものが当たり前の姿として美化されている社会の姿でもある。
なんでも岸田総理は孤独な毎日を過ごしているんだとか、そんなことはないでしょう毎日長男の総理補佐官と朝のお茶しながら頑張っているのでは?、アハハ。勿論周りには反日カルトのスパイがたむろしていて自民党議員との関係を頼みもしないのに毎日暴露していて、それでも岸田政権がいうことを聞かなければもっと大物との秘密を暴露しかねないから憂鬱な毎日を過ごして、それでも仲直りしなければ国葬した元総理の秘密まで白日の下に曝しかねないことでもはやにっちもさっちもいかないところに来ていることは、間違いないでしょうが、それでも「友遠方より来る」ドイツの援軍が<一緒に中国と戦いましょう>なんて熱い友情?を見せにワザワザ来てくれたりして、アメリカさんに唆されたかどうか知らんけど。とにかくウクライナみたいにもう自分から兵隊を出してアフガンみたいになりたくないから必死に岸田クンを説得して代わりに中国とヤッテくれるように、なんてネ、世界はまたまだ日本を見捨てていないみたいでヨカッタね岸田クン。「え?、それってアベちゃんとの約束、聞いてないヨ~」、ただその結果どうなるか誰も責任は持たないのもヤケクソのうち、それで突然洗脳から覚めて怖くなり【核共有を言い出したアベ君?】、したら案の定👺さまの逆鱗に触れて・・・の・、知らんけど。あくまで自分からイクようにして欲しいのは言うまでもなく、世界は岸田クンに期待していますよ。世界には共食いの鬼もいればその👹を後ろから大きな団扇をもって煽る赤い高いハナの👺おじさんまで控えているから、岸田クンも心強いやね、(*´σー`)エヘヘ。でも最後は自分持ちだからそこのところは一つヨロシク。ところでどこかの国軍の払い下げられたふる~い武器に油をさすためにオーストラリアの首相に頼んだ潤滑油交渉はうまくいったの?、岸田総理ドノ。ハハただ油を売りに行っただけか。
今や日本は対中戦争のさ中なのか?、オスプレイが墜落しても米軍が正式に認めるまで報道すらされないのか、わずかにNHKのみが速報で放送したのみ、他のメディアは恐る恐る?マーク付きで遅れること数時間、しかもその後の追加報道は一切なしこれでも日本は本当に自由主義国家なのか、太平洋戦争中と変わらない報道規制国家としか見えない。役立たずのオスプレイが日中戦争の主力兵器であることをこの1台の墜落がいかに日本にとって重大事件なのかを日本政府がモノ言わずに語っている。この国の政府の存在感の薄さ、軽さを改めて玩具のようなオスプレイ1機の重さで測られた事件、日本国民はよく覚えておく必要がある。<日中戦争の主力兵器が墜落したのに政府は一言も発言できないのか、この報道管制の重苦しさから見るとオモチャオスプレイが日中戦争のカギを握っていることは間違いないナ>。
大阪万博も他人事予算、そして国の最も基本の国防施策も他人(アメリカ)任せ、日本の政治は一体何処に行く?、誰が応えてくれるのか。ーその真相は大阪万博は政府ではなく日本維新の会の問題であり、対中戦争は日本の問題ではなく、アメリカ自身の問題だからである(だからマクロン氏は東京にNATO事務所を設置するのを拒んだのである、EUはアメリカの子分ではない、)では日本は?ー。それに対するアメリカの答えは、オスプレイの墜落の捜索にオスプレイ2機の派遣を決定。