激震が走るアメリカの様々な話題、先ず次期大統領の裁判ではすでに有罪が決まっていたトランプ氏への量刑の言い渡しがなくなり有罪野放しとなったとメディアは報道している、まるで裁判所が詐欺を働いているみたいなもの、詳しくは直接お読みください。そしてサンフランシスコの火災にも関連するニュースは地球の温度が過去最も上がり2024年度は産業革命以降初めて1.5℃を上回った年になったと、そんな中トランプ政権は温暖化を止める世界の枠組みから脱退すると表明している、更に旧フェイスブックのメタのCEOザッカーバーグ氏はSNSのファクトチェックを撤廃し政治的表現の規制をなくすと発表、もはやアメリカは法治国家をかなぐり捨てていわば無法国家になり下がった、それなのに中国の法の支配秩序を無視する行動を批判している、どちらにも与しない私などから見れば二つの大国が互いに手前勝手な行動で人類を自ら窮地に陥れているとしか見えない、このまま世界がどちらかに組み込まれ闘いを激しくすれば地球はサンフランシスコの山火事のような状態に陥ること必至、手をつけられない状態に陥るのは間違いない。これは国家間の争いというよりもはや人種対立の地球規模の戦いという様相になる、人類そのものの危機でおそらく高みの見物が出来る国はなくいわば動物的な醜い争いが展開されることになるだろう、何故なら人類にこの争いを止める手段がないからに他ならない、この究極の共食いを止め人類の絶滅を防ぐ手段は名もない多くの人たちが声を挙げこの下卑た醜い争いを止める以外にないだろう。腐敗した権力に迎合する文化は必ず衰退する。<石破総理は東南アジアに無駄にカネを捨てに行ってるし・・・トランプ氏に言われたのか知らんけど、イランの時の安倍氏とおんなじ?>。
日本の政治の本当の姿が見えて来た、その根底には長い歴史の貧困が横たわっている、今日の国会での党首同士のやり取りを聞いていても、互いの都合の主張を国民に押し付けるだけの貧困さばかり、それは普段の政治の姿そのものが反映したものでまったく日本の政治の歴史がコップの中の争いにすぎないことを容赦なく見せつけたものにすぎない。ここに日本の姿そのものが表されている。世界に背を向け自分たちの利権を追うだけの日本政治の姿そのもの、それをアメリカに一身に負う姿が今自分たちの利益に適えばそれで良いという損得政治を国民もまた肯定している、ただその為だけの選挙、しかもそこにはこの国の歴史を都合の良いように歪曲し捏造して国民に飲み込ませようとする姿が、今の世界の姿まで現実とはまるで違う世界を国民に映して見せようとしている、これは非常に危険な姿勢であり、そういう国から一度飛び出して世界を目の当たりにした日本人はこれまで国内で見聞きした世界とのあまりのギャップに驚くことになる。そして日本という国の歴史的貧困さに落胆するだろう。しかしながらそんな人々もけっして海外から声を挙げる事すらしない、何故ならそれほど日本に愛着を感じないからに他ならない、ここに日本人の本質的貧困の姿がある。「君が代」国家の不幸である。自分の問題としての日本という在り方を持てない悲劇の日本人の姿がここにある。この選挙が日本の21世紀を決めるという私の言葉の根拠がここにある。
<何度も書くけどアジアで戦争をしたら核戦争になるよ>。
大きな字(声)では書け(言え)ないが
超越的現象学
ゴルフが上手くなるコツは何だかご存じだろうか?、それは何故スイングするときに独特な前傾姿勢をとるのかということに懸かっている、その答えはできるだけ懐を深くすることにある、30センチもあるグリップの部分を体の前でうまく処理するためには懐を深くとらなければクラブをうまく処理できないからで、あの前傾姿勢にこそゴルフの全てが入っているからであり、そういう意味では昨日の日本女子オープンゴルフは私にとって実に不愉快な結果であった。ゴルフに対する姿勢は人生に対する姿勢そのものだと私は経験から考えているが、人生もゴルフ同様懐の深さによってその豊かさが決まるのではなかろうか。それが昨日は試合の模様をNHKのTVで中継していて私は日本人だが韓国の申ジエ選手のファンでゴルフに対する真摯な姿勢には常に尊敬しているが、彼女はスタンスをとる時に前傾姿勢をとらないのはそうする必要のないゴルフスイングを生み出したからでそれが彼女が天才であることを証明しているが、会場に詰め掛けた多くの日本人ギャラリーはそう思ってはいなかった。日本人選手のショットはその都度「ナイショ――っ」と大声を出して応援するが申選手の時にはシーンと無視、そして放送するアナウンサーまで彼女が寄せを失敗すると嬉しそうに「ボールがピンから遠く離れていきます」と声を上げてマイクにしがみつく、ちょうど申ジエ選手がトップに立っている最中の出来事。ゴルフに限らずスポーツの試合はどうしても敵味方に分かれることが多い故自然に自分の味方を応援したくなる気持ちは分かるが、試合は相手がいなければ成立しない、しかも今回政治の世界で統一教会の問題が日本を揺るがしている関係で、ゴルフの世界にまで日韓の悪化が影響している、そこにこの懐の浅い問題が影を落としている、ゴルフと政治のゴタゴタは関係ない、しかも統一教会問題の主役は日本の政治家なのだ、そこをはき違えるとまたしても世界の笑いものに日本はなる。決して韓国そのものとは何の関係もない。それなのに日本人の排他意識が韓国人選手にまで影を落とす、その懐の小ささが今回の安倍元総理の国葬にまで働き、日本の小ささが世界に知れ渡ってしまった。それがどれほど日本人が世界で損をしているか、慰安婦像が世界中で設置されていることだけでも既に不利な状況が生じているのに、である。いつまでも井の中の茹でガエルではゴルフも世界から置いて行かれるばかり、もっと懐の深い国に変えないと、自分の子供、孫がもっと苦労することになる、今(自分)さえよければ、それで好いのか?、日本人。
今世間ではカスタマーハラスメントが大きな話題になっていて社会の混乱のひとつのバロメーターのようなことに、以前私は日本社会はハラスメント社会だと書いたが上下関係の厳しい社会は本来ハラスメント社会で、上の者が下に対して厳しく指導とか教育の名を借りて虐めが行われてもそれほど大きな騒ぎになりにくかったことが、人権問題特に海外で女性たちが♯Metoo運動を起こし女性のセクハラに対して抗議の意思を示し始めたことからハラスメントにより敏感になった。もとより日本社会でこうした問題が騒がれなかったのはタテ社会が国家の基本の姿だったからで、カスハラに限らず虐待や虐めは上からのハラスメントが日常茶飯事だった社会の常道で武士の「切り捨て御免」はその象徴の姿だった。身分制度が厳しい国は日本に限らずインドやかつての中国、革命前のヨーロッパでも奴隷制度が当たり前の社会ではハラスメントは何の問題にもなり得ない時代であった、それが今これほど問題になっているのは民主主義の時代に入ったからで、日本のハラスメントが騒がれるのも明治150年になりようやく人権問題に日があたるようになってきた証と云えるのではないか、ハハ。その解決にはにほんの上下社会の廃止がなければこれは永遠の問題として残るだろうし、まして男女の社会格差は完全な平等社会が到来するのを待つしかないのではないか。今の日本はその過渡期に入っているが揺り戻しの方が強く二歩進んでは三歩下る現状ではどうなるのか?、所謂政治問題化している103万円の壁も実はこれは日本社会の基本が妻や子供が夫の付属物という考えからできているからで、個人が基本単位の欧米では起こり得ないものだ、そのくせ消費税は個人の基本で赤ん坊のミルクやオムツ代にも課税されていて何故消費税には扶養控除が適用されないのか。この体制の矛盾が社会の不満の原因で、本来起こり得ないカスタマーハラスメントが起こる原因がここに起因する。所得税は家族が基本なのに何故消費には個人が課税されるのか、こうした理不尽が日本社会には充満している。消費税も家族単位にして扶養控除が適用されれば所得税の103万円の壁も納得できるだろう。政治の側の都合ですべてが決められるこの国の制度を国民の都合に合わせる制度に替えればハラスメントはかなりなくなると私は思う、石破さん一度試してみてはいかが?。知事会の政府への不満は自ら所属する体制の不合理にケチをつけている(天に唾している)のと同じ、<すべては民主主義の基本欠如から始まっている>。
私は若いころ胃痛に苦しんだ、食後30分もするとシクシク胃が痛みだしやがて錐もみ状態に所謂胃潰瘍というやつで、漱石が血を吐いて苦しんだ病気だった。<自分は他人より心配事が多いから>と一人ごちたがその後職場のある先輩がそんな私を見て、「お前、食事の時に飲み物を一緒に飲まない方が良いぞ」と教えてくれた、何故なら飲み物を食べ物と一緒に飲むと胃液が薄くなり消化が悪くなるからでありそれだけ胃に負担が掛かるからで、先輩に教えられた通りその後は食べる時一緒に味噌汁やお茶を飲まなくなると胃痛がピタリと止まった、そして先輩はこうも教えてくれた、お前食べ物をいっぺんに口に放り込むから唾液が足りなくなるんだ、少しつづつ食べて唾液が足りるくらいの量を入れるんだ、と。それから私は胃痛に苦しむことがなくなった<漱石先生にも先輩の話を教えてあげたかったナァ(*´σー`)エヘヘ>。大量に早食いして食欲を満足させていたことが自分の体を痛めていたのだ(食事の目的は食欲を満足させることではない!)。それと同じで知識も早飲み込みするとろくなことは無い、消化不良を起こして<自分は他人より知識が豊富だから間違えない>と尊大ぶる結果、人に嫌われるハメに陥る、現代のように次から次と新しい情報が沢山入ると人は消化不良を起こしやすい、その為に情報を処理するためのAIが必要になる情報の消化酵素と云うわけだ、ただこの消化酵素使い方によっては胃を更に傷める結果になる、それが今懸念されているSNSのウソ情報だ。結局過食による消化不良は体を壊す、よくCMで食パンを咥えながら家を飛び出すシーンがあるが胃は情報を分析するだけの能力しか持ちえない、体に情報をもたらす小腸に届く前に胃に毒が入り胃がその毒をそのまま小腸に送り込むようなものだ、それなら食べない方が未だマシと言うことになる、多くのメディアが信頼を失いそして好みの情報だけを偏った知識で発信するSNS、どちらも食いすぎ、早食い、水分の摂り過ぎで胃液が薄くなっているからでは?。<統一教会(反日)カルトの問題は自民党思想の(芯)である本質的合一性が原因、ま、まさか3度のメシの合間に胃薬4回飲む~ってなっちゃったりして?:薬は用法容量を守って正しく服用ください、特に劇薬の場合はイヒヒ>。
皆さんこの一年は如何でしたでしょうか?、はは何とも形容しがたいという人もおられるのでは。確か来年は🐍年の筈がこれから4年もトラ年が続くなんて!と思われた人も大勢?、だってここは第2の米国ですもの違いますかね経済誌なんかアメリカ以外世界はないみたいな51番目はカナダに取られちゃったから仕方なく52番目ですかねアハハ。そんなこんなで24年も終わっちゃいますが多分注意深く生きておられる人は覚えておられる人もいると思うのですが、ウクライナにロシアが攻め込んだ当初ゼレンスキー氏は日本のパールハーバー奇襲を例えて日本を強く非難していたことを記憶している人もいると思いますが何故彼はあの時日本を非難したのか、それはロシアの侵攻がまるで日本のパールハーバー奇襲に似ていたからではなかったかと、当時ロシアにはトランプ氏と日本の安倍元総理が押しかけていたからゼレンスキー氏はそう判断していたからではないかと。しかもトランプ氏は今でも悪いのはウクライナの方でロシアではないと言っていますから、トランプ氏と行動していた日本の総理も同じだと当時考えていたから日本を非難していた?、その後トランプ氏が選挙で負けると安倍総理も突然政権を放り出し菅政権に変わると、日本政府はそれからバイデン政権とウクライナ支援に回ってゼレンスキー氏も日本非難を突然止めてただ最初の年記憶している人もいると思いますが、支援国に感謝のメッセージを送る中に日本だけ入っていなかったあの騒ぎ。それがゼレンスキー氏の対日本への不信感を際立たせていた事、忘れっぽい日本人もこのことは忘れてはいないでしょう、今ではウクライナ支援一辺倒のように思える日本政府もこんなことがあり、そして安倍元総理の死があり、今年も終わろうとしています、ただ今なお忘れていなければ(都合よく忘れっぽいのは日本人だけ)私の書いた世界中の誰でもが知っている事実と安倍氏の死を喉の奥に引っかかった骨のような違和感を感じつつ24年を終わるに終われないような思いの向きも居る筈、ということでなんとも形容しがたい年の終わりにどちら様も来年が良い年であるように祈りつつ、今年は大変ありがとうございました、また来年もご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
私のブログに既に2通のガザからの手紙が届いた、当然その中身はガザを救ってほしいというものだが2通とも幼い子供を抱えた父親からのもので、既にウクライナでは女性と子供が少ないながら日本にも戦争を避けて避難してきているが、ガザでそうした動きがあるという情報はない。パレスチナでは女性や子供が大勢イスラエルの攻撃で犠牲になっているニュースが毎日届くが、国連はガザの女性や子供を難民として引き受ける国を探すことが出来ないのだろうか?。特にアメリカはイスラエルに兵器や弾薬を供給しているだけでなく戦争そのものにも協力しているのならガザの子供たちを難民として受け入れる義務を負っていると私は思う、たとえ一時的でもガザの子供たちとその母親を受け入れるか、もしくはアメリカ国内にパレスチナ入植地を建設して彼らを受け入れる義務があると私は思う。この悲惨なイスラエルの残虐行為に対してアメリカにもイスラエルの入植に対する歴史的責任があり、彼らの国家の安全を約束する義務がある。今アメリカはそれ以外の国々から経済的搾取の結果から多くの難民が押し寄せ彼らの入国を拒否しているが、それでは国際的責任を果たすことにはならない、せめてパレスチナの人々はその歴史的責任においても彼らを受け入れる義務があるのではないか。この悲惨な紛争が終わるまで子供たちの受け入れとパレスチナ入植国家を国内に建設することを私は提案する。
欧州議会選挙は予想通り右派右翼勢力が議席を伸ばし特にフランスでは国内の下院まで解散に追い込まれ、選挙をする事態にまで追い込まれた、理由は言うまでもなくEUの難民、移民政策に不満を持つ国家主義勢力の伸長によるもので、欧州ではかつて東ヨーロッパで民族主義の嵐か吹き荒れ、内戦が起きたことは記憶に新しい、それは今起きているロシア、ウクライナの戦争にも大きな影響を及ぼしEU全体でウクライナを支援している体制にも大きな影を落とすことになる。長引くウクライナの戦争に戦費を注ぐ欧州各国にとって嫌気がさしている現状に不満を持つ各国の足並みが乱れ、更にロシアを優位にするこの結果が世界の不安定化を更に加速させかねない、今世界で起きている人類の分裂現象は人類の足腰の弱さが試されることになるのは間違いなく、人類の生き残りを試されることになるのではないか。これほどまでに人口を増やし地球環境まで破壊してきた人類が共食いを始めれば世界は地獄と化すことになる。そうなるかならないかは人類の知恵次第だろうが、少なくとも今の分裂化現象はと人類がほかの生物と全く変わらない生き物でしかないことになる、最近の記事でカラスは4つまで数を数えられるという記事が載っていたがこのままでは人間がそのカラスのえさになりかねない状況だ。毎回生ごみを出しに行くたび頭上で人間が出すゴミの監視をしているカラスがもしかしたら何時か人間が自分のえさになってそこに横たわる姿を想像しながら人間の数を数えているのかもしれない、ハハ。ところでその欧州の移民問題は多くは欧米特にアメリカがアフリカで各国の民主化の失敗によってアフリカ各地から難民となった黒人が近くの欧州に流れ込んだ結果であり、その難民の流入が欧州の不安定化を起こしている、しかもアメリカはバイデン氏が難民の受け入れ阻止を始めている、その自由主義陣営の勢力拡張策が例えばロシアの危機感からウクライナ戦争を引きおこし、アフリカの中国友好ムードを誘引してきた。その原因は勿論経済的欲望である、東西どちらも自陣の経済を優位にするために勢力拡張を図って今の世界の分断がある。それが共食いに発展しつつあることは全く生物のこれまでの宿命と同じ、しかもその根っ子には難民忌避というより人種、宗教差別が色濃くあることは間違いない。それから脱却できるかどうかは人間の知恵一つに懸かっていることは言うまでもない。
無事に2025年が始まりました、尤もそれは表面的にそう見えるあるいは昨年のような災害から始まったことから見れば、という表現の方が正しいのかもしれません、どちらにしても皆さま今年もよろしくお願いします、さて昭和100年言ってみればこの昭和のもつ雰囲気こそ外国人観光客にとっては日本を訪れる最大の目的と言うことのようで今も地方では昭和の雰囲気を壊さないよう様々な努力をしているのは外人さんたちを呼び込むための涙ぐましい目的だからであります。私の生まれた昭和が何故外国人に魅力的に映るのか、令和の今になると昭和生まれの私などが大正ロマンに憧れるのと同じ感覚であることは間違いなく、例えばアメリカ人が西部劇の時代に懐かしさを人前で堂々としゃべれないことの裏返しがむしろ日本ではそういうことを感じないで済むからではないかと思えるからではないかと。おそらく今回何故トランプ氏が勝ったのかということにしてもアメリカ人が堂々とその理由をしゃべらないことと西部劇を自分たちも自慢したい気持ちがそれを代替えしているような、というのもカマラ・ハリス氏は謂わば♯Metoo運動の反動の象徴対象になってしまった結果だとしても表立ってそんなことは言えないのと同じで、日本の昭和に憧れてやってくるアメリカ人が日鉄のUSスチール買収をバイデン氏もトランプ氏も拒否したことの言葉としては出さない事と同じ部類の心持に、日本人がその代償として期待するのはどちらも同じもののような気が私にはします。そのくらい2025年という年は日本人にとってもアメリカ人にとってもこれまでとは違う年になることは間違いないと一抹の期待と不安が入り混じるわけで、どちら様もこころして25年を迎えましょう?。
このところ自殺希望者を頼まれたと主張して殺す事件が続いているが2件目の神奈川の事件は自殺者が中学生でしかも殺したのは28歳の若者だという事件は逮捕理由がただの自殺ほう助で済むのか?、学校を卒業もしていない少女が自殺を希望していたから死ぬのを手伝っただけだという主張は極めて異常な行動でその中学生はただ学校でいじめられていただけかもしれない。おそらく彼女は自殺願望の一方で誰かに助けを求めていたはずだ。そして男は彼女の死に一体どんな虐待を加えたのか、まだ事件は明るみに出ただけだがこの一件から考えられることは日本社会の残虐性が普通のことのように受け入れられていないだろうか、という懸念だ。確かに海外客が喜んで日本を訪れる理由にあるように日本人の感性は素晴らしいものがあり、その繊細さや気配りの優れた面は秀逸で外国人が惹かれる理由であることは私も認めるにやぶさかではないが、それは一方で陰湿な虐めや決して表に出ない嫉妬悪口とか裏切りに通ずるものであり、例えば今回の旧統一教会の手口は表では選挙の無償手伝いとかボランティアで、それが成功報酬として裏で自分たちの希望である反社行為(カルト思想の法制化)を議員を脅迫して要求する行為などに表す実に卑劣な行動につながりかねない。おそらく少女の自殺ほう助の裏には卑劣な自己満足の報酬をこの男は少女に密かに要求していたのではないか。ある意味この男も実は社会からの虐待の犠牲者の一人だったのかもしれない。それが一見この行為がまるで同情の上の行為に見える原因ではないか。彼女への残虐行為は実は自分が社会から受けた虐待への腹いせであり復讐行為であったかもしれない。これが私の主張する否定社会の根底の姿をものの見事に象徴する姿とと捉えられるのではないか。これは日本社会がカルト社会であり、その虐待性を社会の構成要素として内包しながら国民を恫喝し搾取する社会が成立していると言っても過言ではない、これが日本の保守社会の姿でありこれを脱却し、否定社会を革命的に変えなければ、このような極めて卑劣な残虐事件がこの社会から無くなることはない、今国会で厭々ながら進められているカルトに対する告発は実は日本社会の構成要素に対する保守政権の自己批判でありながら、実はその告発はとりもなおさず自己矛盾を自ら否定する実に皮肉な行動であり、岸田政権がいかに巧妙にそれを回避するための盧策に知恵を絞っているか、国民は見極める必要があり、これは日本社会を変えるためのきっかけとして、決して軽視してはならない一件である。これに失敗すると日本はまた元の木阿弥の虐待社会に逆戻りとなる。