日本人としての新たな文字の必要性

日本人としての新たな文字の必要性

 私たち(人間)はどれだけ真実を知っているのだろうか?、以前私は言葉は所詮事の端でしかないとブログに書いた、言葉を話し書けるから人間が最も真実を知っていると思い込んでいるのではないか、それはこの国の歴史について私がこれまで書いてきたことをお読みになった人はそれにおそらくと同意されていると思うが、むしろ言葉など持たないあるいは文字など持たない人間以外の生き物の方がよほど真実をしっかり見つめているのではないかと思う。これまで人間のテクノロジーや歴史が間違っていなかったら、これほど地球を痛めつけることもなかったはずでそれは人間が真実を極めてきたという錯覚を見事に打ち破って見せた。そういう人間の思い込みは全て文字と言う記憶に刷り込まれ歴史に刻まれてきた、この前のブログにも書いたが日本の歴史は主に支配者の歴史であり被支配者の歴史はほとんど無視されてきた、その偏った概念が文字に刷り込まれ歴史教科書によって人間に刷り込まれてきたのだ。今その歴史によって持続不可能になりつつある地球を救うためにはそれを質す必要があると私は考える、つまりこれまで歴史を作り上げてきた支配者の概念は人間の持続性を否定するものだということを改めて私たちは認識する必要があり、今アメリカが政治的にも文化的にも非常に混乱しているのはその為であり、その国に付き従う日本は更にその悲劇を味わうことは必至で、このままでは日本に未来がないのは今の不安が決してただの杞憂ではないことを意味する。この危機を乗り越え私たちの子孫に未来を約束するためには今日本は変わらねばならない、それをつべこべ言い募っている余裕はもはやないと私は考えている。そしてこの歴史を変えるために言葉の歴史を変える必要があると思う、これまで私は日本の否定の歴史の経緯をずっと説明してきた。もしあなたが私の意見に賛成されるのなら、この考えにもぜひ賛同されたい、そして真実こそ人間が生き延びるためにはそれを見誤らない人間の生き方が必要であると、何故ならこの歴史において最も危機を乗り越えたのはあのバカでかい恐竜ではなく最も弱い生き物である事実を私たちは知っているからであり、それがこのデリケートな地球で生き残る唯一の術だと思うからである。弱い者が知恵がないという間違った概念こそ人間が歴史を誤ってきた真実であり、人間は決して強くはない、その事実を否定してきたこれまでの人間の在り方自体が間違っているのだ、そのことを私たちは今地球の姿から学び直さなければならない、そして人間の生き方も変えることが必要で、そのことに誰しも異存はないだろう。

More Posts from Henokaapa and Others

3 years ago

どちらが狂人?

超越的現象学

 いやぁ驚いたね、川口市の立てこもり事件の長久保某容疑者(?)の達筆、私は自分がヘビがのたくったような字しか書けないのであの容姿(失礼)からは想像できない彼を取材していたジャーナリストとの手紙の文には感心した。およそ彼の文と行動との釣り合いの取れないものに私は悲哀すら感じざるを得ない。およそ世の中の犯罪でか弱い女性を人質にとるという卑劣さには彼の性格的な弱さが表されているのだろう。それはあの大阪の26人もの犠牲者を出した精神科医院の放火事件にも共通するが、この種の犯罪の最たるものがあのオウム真理教事件といえるだろう。かく言う私も実は危ない年ごろがあった、おそらく日本人でそういう時期を持たなかった人間は居ないのではないか、と私は密かに想っている。それは私のブログを読まれている人も感じておられるのかもしれないが、そのちょうど危ない時期に私は幸運にも人に巡り合い、書物に巡り合ってその難を逃れて今に至っているというのが偽らざる心情である、ハハ。これまでも何度かその問題には触れてきた、日本社会の姿、その極限は太平洋戦争の結末であり、そのままほ放っておくと日本社会はとてつもない悲惨な状況になるのは既に歴史が証明しており、今更私が説明する必要もない、しかしてその悲惨さをおそらくあの長久保容疑者も指摘したかったのではないだろうか、ただ不幸なことに彼は自分のこの社会において身の置き所を失い、あんな犯罪に陥らざるを得なくなったこと、それはオウムの故浅原死刑囚も同じことで、単刀直入に言えば、この日本社会の狂気(否定の原理)が彼らを犯罪者に追い詰めてしまうものを内包しているからに他ならない。それは種類こそ違うが今回の持続化給付詐欺事件もこの政策の在り方が見方を変えれば彼らを犯罪者に仕立て上げてしまった、とも言えなくもあるまい。その姿は性善説によるものなどという生易しいものではなく、私がこのブログを通してずっと警告し続けてきた、日本社会の危うさであり国際社会と相いれない狂気の姿を内包している姿と云えるのである。短いブログの文章でこれを説明するには大変で、それはこれまでの私のブログを読んでいただくしかないが、今の日本社会の体制から見ればそれこそ私こそクルッテいるようにしか見えないだろう、と私は常日頃考え、そのために文章の在り方に気を付けこれまでどうしたら人々に気づいてもらえるかを必死に考えてきた。それを救ってくれたのが青春時代に私を文学に眼を開かせてくれた父のような存在と、書物、例えば倉田百三の「愛と認識との出発」であり、フッサールの「超越論」であり、またアランの「芸術論集」、更に詩人の金子みすゞの詩であった。金子みすゞの昼間の見えない星の詩こそ、真実こそ見えないがそこにちゃんとあるんだよ、<明るければすべてが見える>というものではない、ということを私に教えてくれた救い主だった、それで私は自分が<あきめくら>であることに気づいたのだった、アハハ。そんなことより、今の犯罪者を作り上げるこの日本社会の体制、それをどうするか?、解決しないと今後あのオウムサリン事件よりもっと悲惨な核戦争を誘発(自己否定)することになりはしないか?、と私が恐れているのはそこだ。

1 year ago

人間の貪欲(経済3X)が招いた地球危機

 さても今年の夏の暑さは異常なものだったが、その原因の大きなものは何と言ってもコロナ過からの人類の活動の復活であったことは否めない、それが全世界的な動きであったためこのような異常な状態になったと考えるのがきわめて合理的であろう。人間の経済活動の復活のひとつは何と言っても人の行き来がコロナ過の自粛から復活したこと、すべての交通機関やモノの移動その中で特に私が指摘したいのは飛行機の運行が大幅に増えたこと、各国はコロナ過で一時的な鎖国政策をとり人の行き来が途絶えてその為飛行機も大型客船も動きが止まり、排気ガスが大幅に減りそれが3年間極端に減ったのち、復活したのもまた極端なものであった、その為今年の夏は空気が飛行機や船舶の排気ガスで汚染されそれに太陽の熱を取り込りこまれ異常な暑さが復活して極端な夏になった、と考えるのがもっとも合理的な考え方と言える、確かに車は少しづつEVに置き換えられようとしているが飛行機や大型船舶は今も化石燃料でしかも消費量の大きさは自動車の比ではない。とはいえリモートワークから解き放たれ再び通勤地獄が復活して自動車の活躍が目覚ましい今の地球はまさに排熱地獄と呼ぶにふさわしい姿。それが今年の異常な夏の姿だったと言えよう。さてそうなるとこれから毎年この異常な夏はやってくる、今戦争が人々を苦しめている最中だがそんなことよりこの人間の経済活動はより私たち人類をより大規模に苦しめることは必定、地球の熱地獄は人間自身の活動によるものを今年の夏が証明したことは間違いなかった。それは戦争などをしているどころではないことは誰の目にも明らかで、人類は直ぐにこの熱地獄を解決しなければ戦争よりさらにひどい飢餓を恐れる必要がある。これ以上地球が熱を持つと水が蒸発して無くなってしまいかねない。今世界中で湖が干上がっているのはその証拠だろう、今すぐ戦争など止めて人類は地球を冷やすために行動しなければ大変なことになりかねない、例えば外国人が日本の自然や日本人の人情に触れたいのなら何も直接来なくても家に居ながら、VR空間で旅を味わえるサービスを提供しておカネを頂けば互いにエネルギーを使うことなく満足できるはずだし、そういう方面でもっと創造性を発揮すれば互いに諍いなどしなくても物事を解決できる世界は出来上がる、それより今の最重要課題は世界が一つになって人口抑制に動くことではないか?。

3 months ago

損失記念日

 昨日は時ならぬ雪目の前の車止めにはうっすらと白い綿帽子、一時間もしないうちに止んで午後になったら眩しいほどの春の光が室内に差し込んできた、特殊な地形の甲府盆地はいつも最後に降り出して最初に降りやむ、そして冷たい空気や暑い湿気は最後まで残る。今朝はマイナス一度暑さ寒さも彼岸まで、今日を境に本当に冬ともお別れとなるか?、自分の記憶としてはいつも21日が彼岸の中日だったが今年は節分も2月2日、何だか一日損をしたような気持ちが抜けないハハ。損と言えばいつも実際に買い物がしにくいものは大体通信販売で買っているが、特に多いのは所謂ホームセンターで売っている物をSNSで買うことが多い、近くのホームセンターがなくなり暮らしに必要な日用品を探すのに苦労する。そこで代用品をいつも100均で見つけることになるがこれがなかなか帯に短し、それが積もり積もってかなりの量になる、勿論代用品だから品物に罪はない、そのうち何のために買ったのか忘れて家の中にただ転がっているだけのものになる。品物はいっぱいあるがほとんどが役立たずのガラクタしかも今度は捨てるのに仕訳と日にちを調べる手間暇がかかり、それが買う時よりも相当な損失観を自分にもたらす、アハハ。そういえばあの第七サティアンと呼ばれたサリン製造施設があった旧上九一色村、今は甲府市の一部となりその名も無くなったが、元々は富士の裾野にある実に風光明媚な場所、その壊失感は何とも言い難いものがある。人間は時に美しい自然を二度と思い出したくない場所に替えてしまう、悲惨な事故が起きた場所はおそらくそういう現場になる、原発事故が起きたフクシマ第二原発もその一つだろう、そこに住んでいた人にとってかけがえのない美しい故郷の名前が一瞬にして忌まわしい思い出したくもない地名に変わる。人間は自分の行為が時に取り返しのつかない損失を創り出すことをこの日を記憶にしっかりとどめておく必要があるのではないか。<そういえば石破総理にとって今回の商品券配布はなんの損失記念日になったのかナ?(もしかして “どっかの野党の代表みたいに” 総理大臣になってシマッタこと(*´σー`)エヘヘ)>。

10 months ago

「適材適所」な選択(誰が?)

 うわ、じゃあの作ったばかりの継ぎ接ぎだらけの防弾ガラスボックスはどうなるんだろ?、私が岸田さんが出ないと聞いて一番先に想ったのはそのことだった、岸田さんは裏金事件が発覚して責任問題が持ち上がった時から心に期していたと言っていたが、それならどうしてあんなガラス箱をつい最近作ったのか。次に総理になる人が「こんなダサい箱はイヤだ」と言ったら一度も使われないまままた新しい箱を作るのか?、自民党は野党や国民に問われるといつも「適材適所だ」と応えて辞任を拒否してきたではないか。岸田さんこそあの継ぎ接ぎボックスにふさわしい適材適所の人物だったからこそ作ったのではないか、だから私は私費で作ってくれと頼んだのだ。アレを作るのに何百万か知らないが費用が罹っているハズだそれも多分一つや二つではないのに。岸田さんはあのガラスボックスにこそ一番適材適所な人物で若者がよく言う「バエル」姿だったと私は思ったのに。何か自民党はいつもチグハグな言動をして国民を困惑させるがハテ?、次にまたあの継ぎ接ぎボックスに合う人物を見つけることが出来るのか?、そういう視点で「適材適所」な人物を選ぶとすれば一体誰になるのか、国民も「バエル」人物を想像しながら首をかしげざるを得ないのではないかナ。最近はすっかり出番がなくなってしまったがさしずめよく威圧的言動を指摘されていたあの人なんかがあのボックスに入ればどんな表情で国民を睨みつけるのか、<この箱の中が一番似合うのはオレだから>なんて更に凄みを増して国民を睨みつけるのか、国民はまたじっと固唾をのんで見守ることになるのか?、(*´σー`)エヘヘ。<台湾へ、へ~野党までもが動員させられるの?>。ニッポン飼い殺し!。

2 months ago

頸枷を外すチャンスを逃すか?

 石破政権がいつからトランプ政権と交渉を始めるのか知らないが、今日から日本の輸出品に関税の上乗せが始まる、私はそれでも石破政権の弱腰に非常に残念な思いでいる、たとえ24㌫の関税を乗せられても日本はアメリカから独立する方がこの国の将来にはずっと有益だと考えるからで、関税の引き下げを貰ったからと言って対中対立の先峰に立たされることには変わりないからだ、もし関税をかけられてもこれまで対米黒字を補って余りあるアメリカ国債を大量に引き受けさせられてきたことをペイすれば関税の分など何の痛みにもならない筈で、しかもこの独立の機会を逃せば日本はまたアメリカの手先になって戦争に手を染めなければならなくなるのは必定、日本は別の道を選択し世界でもっと自由な立場を得て自らの道を作り上げた方が余程明るい未来を描くことが可能になる、今ウクライナやパレスチナの現状を見てもアメリカの戦略で戦争が起きていることは間違いなく、その手先に日本がなれば日本は世界の憎まれ者になることは誰の目にも明らかでそれを望むのは愚の骨頂でしかない、独立したからと言って別にアメリカと喧嘩別れするわけではなくこれまで通り以上に対等な立場で付きあう方が日本だけでなくアメリカにとってもより有益な相手になり得ることはむしろアメリカの利益になるだろう、米中対立の間に日本が立たされる必然性は無くなり、戦争になれば互いの損失が計り知れないことは米中とも認識していて間に日本があるからこそその干渉効果がむしろ対立を深めている現状は改善するだろう、アメリカも直接戦争はしたくないからこそ日本を利用していて、その日本が抜ければ互いの対立は収まる。その意味でも日本はアメリカの手先から抜け出す意味は大きい、今からでも十分間に合う日本はアメリカから自立する道を摂るべきだ。<日本の保守政治の底の浅さが丸見え、もともと日本の保守文化は争いごとが好き(戦国文化)だから平和になると虐めとか虐待行為が表面化するのだ、そして時代錯誤の人物を為政者に選ぶと今回のような混乱が世界を襲う(プーチン、ネタニヤフ、トランプそしてアベ)>。

3 years ago

壊れた国

 超越的現象学

 勿論話題は高齢者の免許更新問題、私にとっても切実な生活問題だから、これほど生命活動に密着した問題はない、不思議なことに高齢者の車の事故は日本以外ほとんど聞かれない。そのことに日本人はもっと着目しても良いのではないか?。なぜ日本人だけが年を取ると車の運転が出来なくなるのか、そんなことはあり得ない。つまり老人が車を誤って運転する原因は別にあり、老人から車を取り上げればまた別の事件が起こり得るということだ。アメリカのような広大な大地を持つ国ならいざ知らず面積の75㌫も急峻な山地をもつ日本で何故車社会を作らねばならなかったのか、しかも個人に車を持たせその為に必要な設備をすべて税金の負担で作らせ、世の中をスピード任せの社会に作っておいて、その劣悪な道路状況によって幼い学童の命まで奪う社会はどう考えても異常な社会としか言いようがない、そして今度は年寄りから車を取り上げる政策だ。そんな社会に国際社会はどんな目を向けているのか、日本という国の政治のあまりのずさんさは誰の目から見ても国民虐め国家にしか見えないだろう。私ももちろん老人の一人、車がなければ役所にさえいけない生活、そんな社会を福祉国家の先進社会というのか、どう考えてもいびつな国家優先社会としか言いようがない、税金は国民生活を豊かにするために使うのが普通の国の姿で、この国の税金は国会議員や官吏が自分たちの都合の為にかき集め、利権に利用するためにしか使われていないのが目に見えるではないか、先日も国会の議長の自民党長老が給料が100万円しかもらえないとうそぶいて国民のひんしゅくを買っていたが、その現実離れした感覚がいかに国民生活と無縁な暮らしをしているかをよく表している。このところ芸能人の自殺が続いているが、国民から見れば楽な暮らしをして夢みたいな生き方をする中、突然コロナウイルスで仕事が減りそんなバブリーな生活が急にできなくなると混乱し自殺に追い込まれる一面は否定できまい。要するに甘えの生活がずっと続けられるという歪んだ社会の一面であることは否定できないのではないか。そんな中で今回は一番誠実な生き方をしている人にその苦しみが押し寄せていると私には考えられる。キビシイ生活を余儀なくされている一般の国民から見れば贅沢な暮らしの終焉がいよいよそんな上滑りな生き方をしている階層にも迫ってきているということだろう。それがこの年寄りの生活をさらに苦しめる免許取り上げ政治にも表れている。私にはそういう政治の持つ限界が見えているようにしか見えない。バブルに頼った社会はバブルの崩壊とともに消えてしまう、それが今の日本の姿にしか見えないが、それは今の私と政治のどちらが見当はずれなのか?。

2 years ago

集団マニアックは犯罪チック社会

 熊本の女性殺害事件をみて思うのは日本社会はそれでなくとも内向きで世界から隔絶されている感が強い中、スマホなどでSNSの世界に浸りだすと更に人は孤独になりマニアックな世界に深入りし始め犯罪者的な人間に陥りやすくなるのではないか、と思うようになってくる。例えばそういう私もこうしてPCに向かう時間がコロナなどで増えるとつい目を酷使する時間が増え、疲れた目を癒そうと窓の外に出てベランダなどでぼんやり外界を見ていると何処からか「覗かれている」などという不審人物みたいに思われているような声が聞かれる、特に夕刻など薄暗い時間になるとそんな風に思われるようだ、こんな疲れてぼんやりしか見えない目がよそ様の家の中まで見える筈もないのに、である。仕方なくまた家の中に戻り遠くどころか足元までもぼんやりした目で歩くとモノで溢れたしびれた我が足は途端に何かに躓いてしまう。独りでいても何故か世間のメを気にしなければならない生活が続くと、時にはむしゃくしゃして<生きづらい社会だなぁ>と誰しも考えるのではないか。そうこうしているうちに自分が次第に一つの方向に更に突き進んでいくことになるのではないか?、おそらく犯罪者の心理とはそういう風に自分が追い込まれていく社会では孤独な視野狭窄的に狭い世界でスマホなどに頼る生活を続けていくことで、社会全体が全くつながりを失い次第に被害妄想を抱く生活を続けていくとあの長野の猟銃事件の犯人ような心理(自分の陰口を言われている?【否定カルト社会特有の世界観】)に陥りやすくなっていく、今の日本社会では誰でも陥りやすい世界ではないか、と思う。それが闇バイトの需要とつながると誰でも容易に犯罪者になり得るし、生きる上でカネが必需品の社会が更にそれを加速させていく、とかく強迫観念は人間のおおらかさを奪いしかもアベカルト(サディズム)社会にデジタルネットワーク技術が入り込むと人間は更に分断され孤立を深め人は更に追い詰められる、ハハ。少子化もさることながら、今そんな危機に陥っている日本社会を何とかせねば、日本はそれ以前に狂気の国に陥りはしないか。皆さん自己認識はデジタル社会を生きる上でスマホやVRゴーグルより前になくてはならない必需ヒンですよ、だからこそ日本の官僚が作る文章は全て他人事文になる、(日本の悲喜劇は此処からはぢまる)。<この自己認識を経なければ本来あなた(父親)の問題(離婚した妻子)が【あんな人たち(ほったらかし、少子化社会の根源)】の問題で終わってしまう>、これは離婚したあなたを別に責めている(離婚の事情は様々)わけではなく、他人事社会の本質のことを言っているのです。(それが日本の教育が最も欠けている社会)。

2 years ago

恩を屈辱で返す国

超越的現象学

 スリランカ女性、ウィシュマ・サンダマリさんの遺族の訴えを名古屋地検は入管職員を不起訴としたばかりではなく遺族の在留資格も剥奪しようとしている。そしてこの事件に関してウィシュマさんのことをあることないことでっち上げ誹謗中傷する記事まで出回っている、亡くなった人を冒涜するのが大好きな日本人。これにはおそらく今スリランカの国が政治的にも経済的にも困窮していることが少なからず影響していると思われるが日本人は弱者の弱みに付け込むことは大の得意でアメリカのような強い国にはすり寄り反対に困っている国は足げにすることはこの事件を見るとよくわかる。しかし日本の保守文化が当てにするアメリカも既に鉄の帝国が末期症状でいつまで持つかはもう分からない、その焦りが今回のペロシ議長の強引な台湾寄港問題になった。しかも私の個人的な受け止めでは安倍氏の事件も間接的にアメリカの衰退問題が深く絡んでいると考えている。その証として安倍氏の死について仲間の自民党政治家が口を噤んだまま一言もしゃべらないことにある、つまり安倍氏は独り何かを背負って死んでいったのである。スリランカと云えば日本が敗戦後今の南北朝鮮や東西ドイツ、南北ベトナムのように二つの国に分けようという国際的取り決めに反対してそのまま一つの国として残してくれだ大恩人の国であり、日本人はスリランカに足を向けて眠れないほどの恩義があるはずである、それでも戦後75年も経つとそんなことはなかったかのようにウィシュマさんや遺族をまるで人ではないような扱いをして日本から追い出そうとしている。こんな非人間的な恩知らずをやっていると日本はまた同じ地獄を味わう羽目になるがそれでも良いのか?。恩をまるで屈辱を受けた相手に返すような非道な仕打ちをしてそれが日本人の礼儀作法に合っているというのか。おごる日本人は久しからず、この報いはきっと大きな代償となって返ってくると覚えておいたが良い。日本政府はかつての恩義に報いるため今こそスリランカに救いの手を差し伸べあの時の恩義を返す必要があり、それが日本の義務ではないのか、そしてウィシュマさんと遺族に対して非礼を詫びて手厚い人間的返礼をすることこそ礼節ある国家として切望する。というのもこのスリランカの窮状を日本がどうするのかが日本の未来を決める可能性があるからである。

2 months ago

なぜ自ら閉ざそうとする?(アマゾンの裸族の真似)

 このところの日々の変わり方についていけていますか?、まるでジェットコースターのような昼夜の温度変化には体がついていけないアハハ、確かにトランプ氏のジェットコースターに乗るのもしんどいがそれは敢えて乗ろうとするからで何も苦労して乗らずに降りてしまえばそれで済むことだが日本政府は何とかして必死に乗りたがっているから国民もついていくのが大変だ。政府は一体だれのためにトランプ氏にしがみつこうとしているのだろうか?、たとえそれが上手くいったとしても人道的な政治を無理やり切り捨て気候危機を無視して鎖国をしようとしているトランプ氏にしがみついても結局それが良い結果には結びつく筈がないのは日本の徳川幕府が既に証明しているではないか、人間が一人では生きていけないように国だって同じでそんな幼稚なことがまだわからないのか?、自分さえ良ければという他人事社会がどういう結果を生むか身をもって今この国はその末期に向かって坂道を転げ落ちている最中に更に火を注ごうと?。もう90万人も減った事実を目にしながら更に国民を減らせば日本は間違いなく滅びるのが我が事だという実感がわかないこの保守政治、このまま続けますか日本の皆さん、自ら主食のコメさえコントロールの効かない政治、それでもそんなのオレには関係ねぇと、トランプ氏についていく方が大事と仰るご無理御尤も。<怠慢維持だと日本は無くなるよ>。

8 months ago

非人道性はアメリカ自身も認めている

 私のブログに既に2通のガザからの手紙が届いた、当然その中身はガザを救ってほしいというものだが2通とも幼い子供を抱えた父親からのもので、既にウクライナでは女性と子供が少ないながら日本にも戦争を避けて避難してきているが、ガザでそうした動きがあるという情報はない。パレスチナでは女性や子供が大勢イスラエルの攻撃で犠牲になっているニュースが毎日届くが、国連はガザの女性や子供を難民として引き受ける国を探すことが出来ないのだろうか?。特にアメリカはイスラエルに兵器や弾薬を供給しているだけでなく戦争そのものにも協力しているのならガザの子供たちを難民として受け入れる義務を負っていると私は思う、たとえ一時的でもガザの子供たちとその母親を受け入れるか、もしくはアメリカ国内にパレスチナ入植地を建設して彼らを受け入れる義務があると私は思う。この悲惨なイスラエルの残虐行為に対してアメリカにもイスラエルの入植に対する歴史的責任があり、彼らの国家の安全を約束する義務がある。今アメリカはそれ以外の国々から経済的搾取の結果から多くの難民が押し寄せ彼らの入国を拒否しているが、それでは国際的責任を果たすことにはならない、せめてパレスチナの人々はその歴史的責任においても彼らを受け入れる義務があるのではないか。この悲惨な紛争が終わるまで子供たちの受け入れとパレスチナ入植国家を国内に建設することを私は提案する。

henokaapa - 超越的現象学
超越的現象学

現代の様々な現象についての考察

205 posts

Explore Tumblr Blog
Search Through Tumblr Tags